あるカープファンの少年とお父さんの思い出

あるところに、一人のカープファンの少年がいました。

少年は広島出身のお父さんの影響(英才教育)で、物心つく前からずっとカープファンでした。

「いいか、ジャイアンツは悪の軍団だから絶対に負けちゃあならん!」と教えられて、本当に悪の軍団と信じていました。(念のためおじいちゃんにもそれが本当なのか確認したら、間違いないと言っていたし)

そのころはまだスマホはおろか携帯電話もなく、テレビではジャイアンツの試合しか見られませんでしたから、カープが相手ではなくても必ずジャイアンツの試合を見て、時折紹介される他球場の途中経過でカープの状況をチェックしました。カープ vs ジャイアンツの時は19時からテレビにかじりついて、お父さんが帰ってくるとそこまでの途中経過を説明してそこから声をからして2人で応援です。

会社の社宅に住んでいた少年一家の隣は大のジャイアンツファン一家。お互い点が入ると隣の部屋に聞こえるように大きな声で喜んだりしました。

カープが勝ったときはお父さんが本当にうれしそうにしていて、それを見て少年もうれしくなりました。

少年はお父さんとカープを応援することが本当に大好きでした。


ところが、少年が小学生高学年になった時、お父さんが転勤で九州へ行くことになりました。お父さん以外の家族は当時住んでいた神奈川の家に残ることになり、それから少年は一人でカープを応援するようになりました。お父さんと少年以外の家族は特に野球に関心がなかったのですから。

たまにお父さんが帰ってきたりお父さんのところに遊びに行った時もやっぱりカープの話で盛り上がります。その時は万年Bクラスの真っただ中でお互いグチの言い合いでした。

それでもお父さんとカープについて話すその時間が少年はやっぱり大好きでした。


お父さんが転勤してから数年が経ち、とうとうお父さんが神奈川に帰ってくることになりました。ただ、帰ってきてからの少年とお父さんの間の空気は以前とはちょっと変わっていました。

もともと大酒のみだったお父さん。日曜日の朝からウイスキーをロックで飲み続ける習慣は変わらずでしたが、ちょっとお母さんにきついことを言うようになりました。お母さんも負けじと反撃。お互い暴力をふるうことはありませんでしたが、しょっちゅうけんかをしていました。

少年はその姿を見て、段々お父さんのことが嫌いになりました。「自分は家で何もしないのにお母さんに文句ばっかり」反抗期真っただ中だった少年の感情は徐々にエスカレートしていき、やがてほとんど口をきかなくなりました。その様子を見て、お父さんも負けじと少年には話しかけませんでした。

そんな状況が数年続いたある日のこと。少年が大学生だった時の事です。お父さんとお母さんは話し合いの末、別れることになったとお母さんから伝えられました。

住んでいた家も引き払いお父さんは広島へ帰り、少年とお母さんおよび兄弟はすぐ近くに引っ越して新たな生活を始めました。
(当時はお母さんが正社員ではなかったのでなかなか家を借りられず、新たな住まいを見つけるのも大変でした)


その後少年は大学を卒業。就職をして働き始めました。お父さんとは相変わらず何の連絡も取っていませんでした。たまにお父さんと連絡を取っていた少年のお姉さんからは「お父さん、あんたがどうしているのか、元気でやっているのかすごく気にしていたよ」と言われたこともありましたが「今更話すことなんかないし」と返事をしてお父さんと連絡を取ることはありませんでした。

それからまた数年が経ったある日の事。お母さんから少年に連絡がありました。「お父さんが亡くなったらしい」

その時、少年は勉強の為会社を辞めて海外に住んでいました。あと数か月で帰国の予定でしたが、間もなく大事な試験がある時期でした。「そうなんだ。でも今は帰れない。」とお母さんには伝えました。もしかしたらすぐに航空券を手配して帰国をすれば葬儀に間に合ったかもしれませんが、少年は帰ろうともしませんでした。「あれだけお酒を飲んだら長生きできないよ」と心の中でつぶやきました。

その日のアルバイトに向かう途中のバスの中、なぜか涙が止まらなくなりましたが少年はその理由がよくわかりませんでした。


それからまた十数年が経ちました。少年は結婚をして子供も授かりました。ずっとカープファンを続けていた少年は、息子にもカープを応援してもらいたいと思いテレビでカープ戦をよく観戦しました。(ジャイアンツを悪の軍団とはさすがに言いませんが)

ある日、カープが劇的な勝利を収めた日の事。少年が大喜びしていると息子もなんだか嬉しそうにしました。それが少年をまた幸せな気持ちにさせてくれました。

「でもまだ息子は勝敗も分かっていないようだし、自分が喜んでいる姿を見てうれしい気分になっちゃったのかな?」と思った瞬間、少年は自分のお父さんのことを久しぶりに思い出しました。

そういえば自分もお父さんの喜ぶ姿を見てうれしい気持ちになったっけ・・・、と。そんなことを考えているとお父さんとのたくさんの思い出が蘇ってきました。

毎週末お父さんとカップ焼きそばを食べながらテレビゲームで対戦したこと、近くのお寺で(住職にばれないように)キャッチボールをしてもらったこと、毎年1回お父さんの運転で旅行に行ったこと。そして、毎日カープの応援を一緒にしたこと。

これまで思い出さなかったのが不思議なくらい次々と浮かんできたのです。

少年はどうやらお父さんとの楽しい思い出にずっと「ふた」をしてしまっていたようです。きっと、そのふたが外れたのです。

「お父さんも自分と一緒にカープの試合を見ているときは今の自分のような気持ちだったのかな」などと考えていると胸が苦しくなってきました。

少年はお父さんと交わした最後の会話を全く思い出せません。きっと冷たい態度を取ったのだと思います。

あの時、お母さんにきつく当たっていたけど、会社でうまくいってないとか何か理由があったのかもしれないな・・・。

あれだけお酒が好きだったのに一度も一緒に飲みにいかなかったな・・・。

仕事の相談とかしたら色々アドバイスをもらえたのかな・・・。

自分が物心ついてから、カープの日本一を一緒に喜び合うことは結局なかったな・・・

最期の瞬間、自分のこともなにか思い出してくれたのかな・・・。

感謝の気持ち一つ伝えられなかったな・・・。

どの思いももう叶うことはありませんし、確認をすることもできません。

少年はたくさん後悔をしましたが、しばらくの間色々なことを考えたのち、こう心に決めました。

「一生懸命生きて、幸せな人生を送ることで感謝の気持ちをお父さんに伝えよう」

それしかできないけど、それが自分にできるベストな気がしたのです。


ただ、まず最初に一度お父さんのお墓に行かなければと気が付きました。

少年にそっくりのカープファンの孫と初対面させてあげないといけません。