WILDLIFE in TOHOKU「キツネの瞳に映るもの」

峠道の頂上まで登り詰めると、道路の真ん中に1頭のキツネがいた。

タヌキと違ってキツネは用心深いから人の姿を見ればすぐに逃げるもの、と思っていたら、このキツネは車で近づいても一向に逃げる気配はなく、それどころか車窓に近づいてきてこちらをじっと見つめるのだった。カメラを向けても動じない。

気仙沼の鹿折からひと山越えて今泉街道につながる山道は、車の通りもまばら。そうは言っても昼日中からキツネが出るほど寂れた道でもない。

キツネはどうしてこんな場所にいたのか。キツネの瞳が何かを訴えようとしているようにも見えるが、それが何なのかよく分からなかった。

キツネは車のすぐそばで日向ぼっこでもしているよう。もしかしたら、この場所を通る誰かが餌をやっているのかもしれない。でも、野生のキツネが人になついたという話はあまり聞いたことがない。

毛並みは汚れていて、立派なはずの尻尾は見る影もなくしなびている。栄養状態が悪いのは間違いなさそうだ。

ロアルド・ダールの「すばらしき父さん狐」で、賢い父さんキツネが尻尾を失くしてしまう話を思い出した。彼が父さんキツネならきっと、失った尻尾以上にすばらしいものを仲間たちにもたらすことだろう。新美南吉の「ごんぎつね」の話も思い出した。彼がごんのような哀しい末路をたどらぬことを祈った。宮沢賢治の「雪わたり」も思い出した。キツネを取り上げた説話や物語は数多い。それだけ人間に近しい野生動物だったということだろう。どうか、賢治の童話に描かれたように、キツネに対する偏見が解かれますように。

目の前にいるキツネのやさしい眼差しを見ていると、車を降りて頭をなでてやりたくなる。食べ物があれば上げたい気持ちにもなる。(エキノコックスの心配があるから触ったりはしなかったが…。ああこれもまた人間目線の判断ということになるのだろうが)

民家からほんの10数分車を走らせた峠に、こんな野生動物が生きていること自体、東北の自然の豊かさを物語っている。しかし同時に、痩せこけて尻尾までしなびたこのキツネの姿は、この自然にいま起きている何がしかの変化の徴なのかもしれない。

翌朝、里には雪も積もった。山はかなりの積雪だろう。復興工事の現場からもほど遠くないあの山のキツネは、この雪の中、どう過ごしているのだろうか。