まちのシンボルの意味
シンボルとしての鉄人への賛否の声を聞いて、神戸の壁のベンチのことを思い起こさずにいられない。新長田の駅近くに残った神戸の壁は、結果的には新しい新長田のシンボルとはされなかった。代わりにこのまちの未来に向けてのシンボルとして、鉄人28号は造られた。
しかし、この鉄人とて未来永劫シンボルとして立ちづけることはできない。
鉄人の恥ずかしいところには穴がある。鉄人を見に来る人の多くが気づくようで、見上げるようにして写真を撮って行く人はけっこう多い。
その鉄人の穴の周辺はすでに錆が始まっている。穴だけでなく、左腕の肘の辺りにも錆が見られる。いかに鉄人とはいえ、鉄でできている限り、酸化、そして劣化を免れるものではない。鉄人は、今後どれくらいの時間、新長田のシンボルとして立ち続けていられるのだろうか。
神戸の壁の壁そのものが新長田から消えた後も、震災を後世に伝えていく象徴であり続けているように、鉄人にはその素晴らしい造形だけでない「魂」を身につけて体現してほしい。
それは、リモコン操縦のロボットだからどちらの側にもなりうるということではない何か。復興というものに多くの意見や考え方の相違があって、必ずしも万人に喜ばしい復興事業など存在しないとしても、それでも共有できる未来を探ること。
それは鉄人ではなく人間の問題だろう。
話はがらっと変わるが、鉄人のすぐ近くの集合住宅の1階には、こんな表示がある。その場所が、かつて古墳時代の居館の跡だったという表示だ。
ここ日吉町2丁目では、震災復興再開発事業に伴う発掘調査で、縄文時代後期から弥生時代前期(2300年前)に、人々が生活を始めていることがわかりました。そして古墳時代中期と平安時代から鎌倉時代(約800年前)の地面(現在の地表下70cm)から人々の生活の痕跡が多く見つかりました。
(中略)
現在私達の生活している地面の下に、過去多くの人々の生活と歴史が刻まれていることを思い浮かべていただき(以下略)
引用元:神戸市長田区松野遺跡の説明プレート
この遺跡の説明プレートの反対側には、「ボールの壁に投げないで下さい」との張り紙もあった。新長田のこの土地で現在と遠い過去が交錯している。
鉄人の目に涙はない。それは彼がリモコン操縦のロボットだから敵とか味方とかを判ずることができないからという理由だけではない。(そもそも新長田の若松公園には鉄人はいてもコントローラーはどこにも置かれていない)
鉄人が立つ新長田の若松公園も、70cmも掘れば、縄文、弥生、平安、鎌倉期の人々の暮らしの遺物がわんさか出てくるに違いない。そしてやがて、鉄人もそのひとつとなる。1000年後の人たちが、錆びて朽ち落ちた鉄人の残骸に何を見るのか。
震災の遺構であれ、震災後に造られたモニュメントであれ、ものである限り未来のある時点で朽ち果てていく。ものが朽ち果てた先に人々は何を未来につないでいけるのか。鉄人が背中にしょっているのはロケットエンジンだけではない。
21年を経て震災後がまだ終わることなく続く新長田の町で、鉄人はこれからの100年を、そして1000年を見つめている。
だから、鉄人の目に涙はない。