【シリーズ・この人に聞く!第117回】阪神タイガース背番号36番 一二三慎太さん

今夏の高校野球全国大会で45年ぶり優勝した東海大相模高出身。5年前の甲子園決勝戦でピッチャーとして活躍した一二三選手は、卒業後ドラフト指名で阪神タイガースに入団。現在は野手に転向し一軍を目指すプロ5年目。今夏の甲子園で活躍した後輩へ贈るメッセージ、夢を掴むまでの努力、プロの条件について、じっくりお聞きしました。

一二三 慎太(ひふみ しんた)

1992年生まれ、大阪府堺市出身。右投右打。東海大学付属相模高等学校ではピッチャーとして活躍、2010年夏甲子園準優勝。2010年秋阪神タイガースからドラフト2位指名を受け契約を結ぶ。肩を痛め、プロ入り後は外野手に転向。今後の活躍が期待される。

24cmもいっき伸びした中学時代。

――5年前の甲子園決勝戦では沖縄・興南高校に大敗してしまい残念でしたが、今夏は後輩が素晴らしいプレーで東海大相模優勝。おめでとうございます。きょうは一二三選手の幼少期を振り返って、夢を叶えるためにどんな努力をされたか?たくさんお話し頂きます。とにかく大きくて目立ちますね。昔から大柄でしたか?

嘘みたいな話ですが、中2まで160cm足らずでひょろっとしていました。ある時、成長痛で膝が痛くて歩けんようになって、その時、母がごっつうご飯を食べさせてくれまして、3ヵ月でいっきに20cm以上伸びて184cmになった。痛くて体を動かせなかった期間は野球ができなくて、それを境に体が変わり、投げた球がいきなり140km超えるように。でも、急に大きくなったもので骨もついてこれなくなり肘を壊したり腰を痛めたり怪我ばかりで、休み休みの野球でした。要所要所で投げては休み投げては休み…で全国大会出場などもできましたが全試合で投げてはおらず、いいとこ取り(笑)。小中学校時代は怪我が多かったです。

軟式野球を始めた小2当時。週末プレーする野球が楽しくて仕方なかった。

――急激な成長…まるで脱皮みたいですね。小学生時代からリトルリーグで活躍されていたのですね?

野球するならピッチャーがカッコエエなぁ~と思って、小2から軟式野球を2年間、週末だけ楽しんでやっていました。放課後は外で遊びまくる小学生。小4になって硬式野球を始めました。その頃から「プロ野球選手になる!」と決めていた。でも肘を壊して監督から見放されてしまい…「こんなところおったらアカン」と思いたち、ボーイズリーグへ移って本気で野球をやってみたいと親に話して、小5からジュニアホークスへ入団しました。ここはお父さんコーチではなく、野球経験者がコーチや監督で戦略的指導もされ、入団テストもあり少数精鋭。自主的に練習することを覚えました。

――小学生時代から強い意思で環境を選べたのはすごい才能です。その後、野球の名門校へ進学。大阪府内の学校でなく関東へ行かれたのですね?

大阪では高校で野球をするならPL学園か大阪桐蔭と言われていましたが、ボーイズリーグの監督が東海大相模に知り合いがおって、推薦をしてくださった。相模では1年生からベンチ入り、2年生から投げさせてもらいました。小中学校では怪我と練習を交互にして体ができていなかった。高校での練習は毎日キツクて、最初は肉離れなどもありましたが、1年生終わる頃には怪我もしなくなってきました。親元離れての寮生活は自分で何でもやらねばならなかったので、すごく成長できた。一人息子をよう出してくれたなぁ~と親にも感謝しています。風呂は先輩から入るのが鉄則で、1年生の頃は浴槽が泥だらけでひどかったですが…(笑)。

――スタメンは9名、ベンチ入りするもの大変で、応援席で声援を送るメンバーのほうが多いと思いますし、野球が好きでも脱落する仲間もいたと思います。そういう中で先頭にたって投げるというプレッシャーはものすごかったのでは?

いや全然プレッシャーは感じなかったです。『俺やったらイケるんじゃないかな?』という変な自信があったから投げていたし、結果的に押さえることができた。ただ2010年夏、甲子園での沖縄興南高校との決勝戦は圧倒されました。どう投げても打たれると思ったし、スタンドが興南応援のオレンジで埋め尽くされているように見えました。観客がどのくらいいても普段は気にしないのですが、あの時だけは守備についていたメンバーも顔がひきつっていました。目に見えない何かに飲みこまれてしまって……あの時だけは、すごかったです。

プロ入りする後輩たちへの助言。

――いわゆる野球一筋で歩まれ、高校卒業後はドラフト指名で阪神タイガースに入団されました。プロ入り後はどんな試練がありましたか?

甲子園で投げてから肩の痛みがあり、入団できる喜びもありましたが「肩は大丈夫かな?」と。合同自主トレの時から痛くて、リハビリ組で練習を開始。走り込みなど自主トレなどやっていましたが、なかなか肩の痛みは取れませんでした。今も痛みはありますが野手として投げることはできます。

子役のタレント事務所に一時通ったほど、かわいらしい幼少期。

――卓越したスキルのある人がプロ野球チームには集まると思います。今夏(2015年)の甲子園、決勝戦では後輩の小笠原慎之介君が投げ切りましたが、ご覧になっていましたか?

今夏の甲子園決勝戦は広島で試合があってリアルタイムでは観られず、インターネットでダイジェスト版と深夜TV番組「熱闘甲子園」を観ただけですが、同点に追いつかれてピッチャーの小笠原君は顔が青ざめていましたよね。でも、その後ホームランを打ち、野手も連打した。その展開は僕にはできなかったので小笠原君のほうが上です。小中高の野球はチームプレーですが、プロは個人の力を問われます。常に自分との闘いで、今も苦しみながら闘っています。

阪神タイガース若手のホープ、一二三慎太さん。母校の東海大相模高は今夏、45年ぶりの甲子園優勝!

――9回表で小笠原君が初球ホームランを放ちましたよね。あれで飲みこまれそうだった流れをいっきに変えられたのは大きかった。勝敗を分ける理由は「流れ」でしょうか?

「流れ」という部分もあると思います。今夏に限って言えば、小笠原君と吉田君の二人がピッチャーとしていたという体制も大きかった。二人だと負担も少ないし疲れも半減されます。一人だとその分背負っているものも大きい。もしも僕の時に、小笠原君がいて僕と交代して投げていたら沖縄興南に勝てたかもしれません。

――後輩の二人 小笠原君や吉田君をはじめ、他校の注目選手も続々とプロ入りを決めるかもしれません。一二三選手からはどんなアドバイスをされますか?

僕はピッチャーをやりたくて入団しましたが、結果的に怪我で野手に転向せざるを得なかった。1年目から一軍で投げたいのなら、プロ入りする前段階から体力強化や体のケアをしたおくべきだと思います。間違いなく、しっかりとプレーができる体があってこその本番です。

全力で楽しんで、目立たなアカン。

――一二三選手は小5から入団した「ジュニアホークス」での厳しさが土台になったようですが、具体的にはどんな経験を?

やらされる練習だと意味がないことを学びました。うまい子ばかりが集まっているチームでしたから、自発的に練習することが基本。もういいと自分が思ったら練習をやめる。それは今でもそうですね。やれと言われてやることが一番辛い。土日だけ野球漬け…とはいえ、朝から弁当作りなどいろんな世話をしてもらい、母があってこその野球です。

体が急激に変化した中学時代。肩を痛め野球ができない時期もあった。

――スポーツができると勉強もできると思いますが、科目では何が得意でしたか?

勉強は全然できへんかったと思います。プロ野球選手になるという目標があったので、勉強よりも野球が中心でした。通信簿は体育に5がついても、他は棒がたくさん並んでいて……でも、それに対して何も母から言われたことはないです。野球以外の習い事は、小学校時代にそろばんと習字を少しだけ。両方ともあまり長くは続かなかったですけれども(笑)。

――やんちゃ坊主も、野球だけは続けられてよかったです。一二三選手のイメージするプロの条件ってどんなことなのでしょう?

目立たなアカンと思います。足が速い、バッティングがいい、投げる球が速い…自分なりの長所を何かひとつ伸ばしまくったほうがいい。僕の場合は体が大きくなったことで投げる球が速くなったから、それが眼を引くポイントになったと思います。もしも大学進学していたらどうなったかわからないですし、プロ入りはしていなかったかもしれません。今はまだ結果が出る時とそうでない時があって、ピッチャーと野手の感覚の違いを痛感しています。まだまだ下手なので練習するしかありません。

――プロ5年目。まだまだこれからですね!では最後に野球が好きな親子に、それぞれメッセージを頂けますか?

子どもたちには、型にはまらないで野球を全力で楽しんでやってほしい。僕が一番野球を楽しんでやっていたのは小学校時代。中学は怪我も多かったし練習もキツクなって一瞬野球が嫌いになった。でもプロ野球選手になる!という夢があったから乗り越えられた。将来、自分の子が野球をする頃までは、プロ野球選手でいて野手として活躍していたいです。
親は絶対に口を出さないことです。試合を観て「なんであそこで振らんかった?」「なんでまっすぐ走らなかったんや!」とこまごま口出すようなことはしない方が良いと思います。その子がよくても、親に言われると委縮してしまうこともあります。僕は何も言われず親に放っておいてもらえたので試合でアカンでも、次は頑張ろうと切り替えができた。特に技術面では口は挟まず、そこは監督に任せておいたほうが良いと思います。

編集後記

――ありがとうございました!甲子園で投げていた5年前よりひと回り大きく、胸板が厚くなった印象の一二三選手。体も心も成長されているように感じました。インタビューでは「誰かに指示されてやらされることより、自主的に考えて取り組むこと」を何度も説かれていました。勉強も、スポーツも、結局伸びるかどうかの分岐点は自主性かもしれません。今季の一二三選手に期待しています!

取材・文/マザール あべみちこ

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