読売ジャイアンツの現監督・原監督の甥っ子として大学時代から注目を集め、2011年プロ野球ドラフト会議で指名されたものの夢である読売ジャイアンツ入団のために1年間の浪人という道を選んだ菅野智之選手。その強固な意思をもって、現在ジャイアンツで活躍中です。子どもの頃のお話しをはじめ、来季の野球へ賭ける思いをお聞きしました。
菅野 智之(すがの ともゆき)
読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。神奈川県相模原市南区出身。母方の祖父は、元東海大相模高校野球部監督の原貢。伯父(母親の兄)は現読売ジャイアンツ監督の原辰徳。背番号:19 ポジション:投手 身長 / 体重:185cm / 88kg 生年月日:1989年10月11日 投打:右投右打 経歴:東海大相模高-東海大-巨人。
水泳、サッカー、野球、塾…大忙しの小学生時代。
――小学1年生から野球を始めたとお聞きしていますが、小学校へあがる頃からもう素質もお持ちで野球一筋という感じでしたか?
僕、幼い頃は仮面ライダーになりたかったんです。野球に出会う前でしたけれどね。でも自分がプロ野球選手になれるとはその頃は思っていませんでした。素質って誰でも持っていると思うんですよ。持って生まれたもの…だけですと、話は終わってしまいますからね。
――習い事は野球以外にもされていらしたんですか?
僕は結構やっていました。週2で水泳、そして週2で学習塾。あとはサッカーも少しだけ。野球は土日だけでしたから、ほとんど遊んでいる時間がなく1週間毎日かなり忙しかったです。
――その中で印象に残っている習い事はありますか?
水泳は野球の体づくりのためにやっていたようなところがありまして。よく行きたくなくて…スイミングスクールの時間に出かけるのですが、スクールには行かずに公園の水道で水着を濡らして行ったフリをしていました。でも無断で行かないとスクールから家庭に連絡があって、それでよくバレて叱られていました(笑)。
――サボリかたも、子ども時代からひとつ上を行っていた気がします(笑)。野球を始められてから、何かプレッシャーはありましたか?
常にありました。活躍して当たり前だと思われていましたし。小学生時代はそれが嫌で仕方ありませんでしたが、その経験が今はいきています。特にジャイアンツは勝って当たり前だと思われていますから。
妥協せずに納得いく生き方をすること。
――枕詞のように常に『原監督の甥っ子』…と言われてきたと思いますが、原監督の存在をどう意識されていましたか?
僕は特に意識していないのですが。ましてや小学生の時は、どれだけすごい人かということがわからなかった。単にプロ野球選手の一人というふうに捉えていました。でも周りの人が原監督の功績について語られるので「ああ、すごい人だったんだな」という認識を少しずつ持ちました。
――高校と大学は原監督出身の名門校で活躍されました。その時代によかったなぁ…とか、逆に嫌だったなぁ…ということは、どんなことでしたか?
これは僕のモチベーションでもありますが、初めの頃は、新聞に取り上げられる時も必ず「原監督の甥、菅野がいいピッチングをした…」という書かれ方をしましたから、そういう言葉をなくして、いつか一人の選手としてメディアに取り上げられるようになりたいという思いがありました。大学3年生頃から一人の選手として書かれるようになって、今はジャイアンツの一員として動けるようになりました。
――大学卒業時の2011年ドラフト会議では指名されたもののお断りました。そういう意思の強さは、やはり小さな頃から培われたのですか?
ワガママでしたからね。自分の人生ですから妥協したくないですし、納得した形で何事も取り組みたい。しょうがないからやっている…では大抵の物事はうまく進まないものだと思います。納得した上でこの世界に入りたかったですし、こんなふうに言うとよく思わない人もいるかもしれませんけれど、僕の人生ですから。
――すごくお若いのに、そうやって自分の意思を貫けることって難しいと思いますが、それができるのはやっぱり積み重ねてきた自信がおありだから…ですか?
そんなことはないです。やっぱり1年見送って浪人することで、その先どうなるかわからない不安はありました。ジャイアンツがその次の年指名してくれる保証もありませんでしたから。でも、僕が選択した以上しっかり頑張らないと…という気持ちです。
一つにこだわらず可能性を探ってほしい。
――影響を与えてくださった人物はどなたですか?
母方の祖父(原貢・元東海大相模高等学校野球部監督)です。間違いなく僕の野球人生に大きな影響を与えてくれた一人です。それから僕の父ですね。とても厳しく育てられたという自負はあります。約束事や時間を守らないとすごく怒られました。父との口約束で朝素ぶりをする、ランニングをする…ということをサボってやらなかったり、学校の成績が悪いと、すごく怒られました。とにかく厳しかったです。父も、東海大相模で野球をして、一年浪人して法政大学で野球をやっていました。苦労しているので勉強もできますし、野球のことはもちろんすごく厳しく言います。
――その厳しさがあったからこそ、お父様の夢でもあったプロ野球選手となって活躍されていて。今、すごく喜んでいらっしゃるのでは?
でもいまだに僕は父に褒められたことがないんですよ。もう褒められてもいいんじゃないかと思いますが、まだ一度もないですね。でも僕はそれでいいと思っています。逆に褒められたら気持ち悪い(笑)。食事の時間が一番厳しくて、ちゃんと食べ終わらないと席を立てなかったんです。身長は昔から大きめでしたがガリガリでした。体がしっかりできてきたのは大学に入ってから。一方で、母の存在は大きかったです。料理に関しては作ってくれるものがおいしかったですし、今思うとたくさん勉強してくれていたことを感謝しています。将来自分の子には、やっぱり野球をやらせたいですね。自分が小さな頃、父とキャッチボールしたことはよく覚えていますし。自分の子とキャッチボールしたいですね。
――すごくエリートコースで野球選手になられたと思うんですが、実際、野球の名門校出身でもプロ野球で活躍できる人はほんの一握りです。プロになれる人と、なれない人の差はどんな点になると思われますか?
うーん、難しいですね。でも、自分よりもっと野球が好きで、もっと頑張っている人はたくさんいると思います。そんな中で僕は好きな野球を職業にできているのは幸せだと思うんです。好きなものは生活の中心となります。一番大事なのは、野球を好きであり続けることだと思います。
――今、野球少年を育てる親御さんへ何かメッセージ頂けますか?
組織の中にいると、やっかみや妬みも生まれます。それはある意味、認められている証拠です。僕は「悪口も褒め言葉だ」と思っています。何も思われなくなったら終わりです。何か言われるうちが華。たまに思うのは、今の小学生は「オトナ化」していますね。野球って小学校時代は難しいことをやらなくていいと思う。キャッチボールとランニングだけやっていればいいくらいです。難しいトリックプレーは必要ない。そういうことを始めると、野球がしんどくなる。それよりも「球遊び」でいい。打った、投げた、走った…で。自分もゴルフを遊びでやりますが、もし職業にしたら…しんどくなると思います。楽しくやれるのは趣味のうちです。そういう「野球は楽しいんだ」という土台づくりを作ってあげるのは大事です。
――最後に来シーズンの目標と、習い事を考える親へ何か一言アドバイスをお願い致します。
あと一歩で日本一を逃して悔しかったので、来年は日本一を再度目指します。そして再来年は日本一連覇を目指して、その原動力になれるよう頑張ります。自信はあります!
習い事は、幼少期は何か一つに執着してほしくないですね。いろんなことをやらないと可能性ってわからないですよね。僕も野球以外に水泳やサッカーもやりましたが、その中で一番好きになったのが野球でした。もちろん何の後悔もしていません。一方でずっと塾にも通わせてもらっていました。おかげで高校時代も野球オンリーではなく、学校の成績も悪くはなかったです。家庭状況によって勉強だけ!となってしまうこともあるかもしれませんが、あまり一つのことに偏ってほしくないです。もちろん、どっちつかずはダメですがいろいろな可能性を探ってほしいと思います。
編集後記
――ありがとうございました!とにかく大きな菅野選手は身長185cm!!背の高さだけでなく、放つオーラがさらに大きく見せているのかもしれません。お話しをしてみて意思の強さを感じました。「勝つためのジンクスはありますか?」とお聞きしたら「あんまり決めないようにしています。それができなかったら不安になるので。ぐっすり寝て、長めにお風呂に入って…は心がけています」とのこと。来シーズンの読売ジャイアンツを勝利に導くけん引役に間違いなくなってくれそうです!
取材・文/マザール あべみちこ