女川駅前の新しい商店街「シーパルピア女川」に行った時、知り合いから見せてもらった出店予定マップに金華楼の文字を見つけた時はうれしかった。駅前から港に向かうプロムナードを下っていった場所に、その名店が帰って来ます。
3月8日、「金華楼が夕刊トップに載ってるよ!」と何人かがFBで発信。たしかにご主人の鈴木さんの凛々しい表情と、名物メニュー、さらに店のシンボルである「金」の字を収めた写真付きで東京新聞1面トップにデカデカと!以下、東京新聞3月8日夕刊のトップ記事から、一部を引用させていただきます。
やっと、出発点に立てる
被災の食堂
海辺に帰る
女川 看板と丼6個から再建
東日本大震災で被災した宮城県女川町の海辺に今月24日、釣り人らに親しまれた老舗食堂が帰ってくる。創業61年になる「金華楼」の四代目店主の鈴木康仁さん(43)が、がれきから6個の丼と「金」の看板を見つけ、高台の倉庫で仮営業を続けて4年半。「海の見える場所で、ようやく再出発できる」と決意を新たにしている。
「特みそ、お待ちどおさま」
女川湾から2キロ離れた住宅地にある仮設店舗で出てきたのは、麺二玉に、のりを巻いた餅やチャーシュー、コーンなどが大鍋に盛られた看板メニュー「特製みそラーメン」だ。ボリューム満点の一品を、常連客が勢いよくすする。
高さ15メートル近い津波は、女川漁港にあった三階建の店を根こそぎ奪った。鈴木さんは翌日、店舗跡のがれきをかき分け「金華楼」と書かれた黒いラーメン丼6個が割れずに残っているのを見つけた。
裏の町役場の二階のがれきからは、津波で打ち上げられた看板の一部が見つかった。「金華楼」の「金」の文字。40年以上前から使っている店の宝物だ。
突然の出来事だったからか、失意すら感じず、迷うことなく再建を決意した。震災から半年後の9月、知人の倉庫を借りて調理場を急ごしらえし、オープンさせた。
メニューは特みそと、しょうゆラーメン、チャーハンだけ。食品の卸業者も被災したため、昼間だけ店を開いて夜は食材調達に走った。
通い続ける客の要望に応え、メニューを徐々に復活させた。表紙に「まけねーぞ女川」と書いたメニューには今、80種類以上が並ぶ。震災時の炊き出しから誕生した「女川カレー」をベースに、とろみのあるスープに仕上げた新メニュー「女川カレーラーメン」は、人気の一品になった。
新店舗はJR女川駅近くの再開発地区で開く。しゃれたカフェのような大きな窓ガラスからは、100メートル先の海が一望できる。かつての店の面影を残したいと、内装の壁はれんが風にした。「金」の看板と丼6個は店内に飾るつもりだ。
「もう5年」「まだ5年」。鈴木さんは両方の思いを抱きながら、前を向く。「生まれ育った女川を盛り上げる。その一役を自分が担いたい。やっと、出発点に立てる」
引用元:東京新聞3月8日夕刊
金華楼さんは女川の復興のトップランナーのひとりだと思ってました。でも、「やっと、出発点に立てる」というのが正直なお気持ちなんですね。
3月24日、女川を盛り上げていく挑戦が始まります。
津波にやられた金華楼さんが海の近くで再び立ち上がる――。お店がオープンしたあかつきには、しっかり食べてその意味を噛みしめたいと思います。
【女川】【CM】味の館 金華楼
2012/11/07 に公開
東日本大震災により、壊滅的な被害を受けた女川町。町の中心部にあった商店の多くは、元あった場所を離れることを余儀なくされました。しかし、新たなスタートを切った商店の皆さんは、震災や津波に屈することなく「女川町のみんなのために」「早く女川町を復興させたい」という強い熱意を持って日々の仕事に取り組んでいます。
ピースボート災害ボランティアセンター(PBV)では、困難な状況の中事業を再開させた店主の方々を応援すべく、サノフィ株式会社(La Maisonプロジェクト)とSCSK Earth Oneの企業ボランティアの手を借り、「女川魅力発信プロジェクト」を実施しました。
美味しい食べ物、こだわりの商品、美しい自然、そして前向きに頑張る女川の人たちの姿。
今回作成したCMにより、一人でも多くの人に女川町の魅力が伝わりましたら幸いです。
看板メニュー「特製みそラーメン」(手前)を前に「女川を盛り上げる一役を担いたい」と話す金華楼の鈴木康仁さん=宮城県女川町で(高橋淳撮影)