人と人が関わることって(1) 嫌いなヤツを助けるか?

土曜日の朝のテレビを見ていて、数年前のイベントでのやり取りを思い出した。

きっかけとなったテレビはNHKの「東北発未来塾」。震災後ずっと傾聴活動を続ける金田諦應(かねたたいおう)さん、宮城県栗原市通大寺の住職さんが、若者たちと傾聴ボランティアを立ち上げる内容だった。

その番組を見て思い出したのは、傾聴ボランティア活動とは別物の、数年前東京で開催されたイベント。その名称も忘れてしまったが、宮城県南部、名取市や亘理町で被災地支援活動を続けるロシナンテス東北事業部のみなさんが、これまでボランティアに参加してくれた若い人たちや、その友人知人たちを集めて開催したトークイベントでのことだった。

たしかテーマは被災地とかボランティアとかという内容からは離れていて、いまの日本の若者たちが、将来就くべき仕事というものをどう捉えたらいいのかな、そもそも仕事ってなんだろうというテーマでのワークショップだった。

その中で忘れることの出来ない質疑応答があった。

問うたのはとある大学生。

「震災直後から、ロシナンテスのみなさんは被災地の人たちを支援する活動を続けられてきたことがよく分かりました。でも、あえて尋ねたいのですが、もしも自分が大嫌いな人から助けてと言われたとき、はたしてどうされたでしょうか。仮に利害関係がある相手であっても、同じように支援をすることができるのでしょうか」

返答のマイクを渡されたロシナンテス東北事業部の大嶋一馬さんは、こんな答えをしたと記憶している。(筆者の記憶の中の言葉なので多少の違いはあるかもしれない)

「自分たちが被災地に入ったのは被災という現実があった後なので、誰であれ分け隔てることなく活動しようとの考えは強固だった。でも、いまの質問はそういうことではありませんよね。仮に自分たちがその地域とずっと関わって来ていて、いろいろな確執とかがあったりした上で事が起きたとき、という意味だと考えて、お応えします」

「震災後、ずっとこの地域で活動を続けていく中で、被災された1人ひとりのお話を聞いていくと、私たちのようにボランティアとしての関わりとは違って、行政とか政治の力で大きく変わるものがあることが分かるようになります。これだけの声があるのに、どうして行政は動いてくれないんだろうという気持ちにもなります。そういう経緯の中で、いろんな確執もありましたよ。いくら叩いても響かない相手に対してどんな感情が蓄積されていくか。そりゃいろいろなものがあるでしょう。」

「だけどもし仮に、絶対にあってほしくないことではありますけれど、もう一度大津波に襲われて、自分の目の先に行政機関の人なり市長なりが手を伸ばしていたら、その手を引っ張って助けようとします。間違いなくそうしますね」

彼は被災地の復興とか再生とか再建とか、いろんなことで意見対立している相手がいっぱいいる。だけど、そんなことは無視して助けうる立場にあれば助けるだろうと言った。もっと重要なのは、「そうは言っても、助けた後になってちょっとだけしまったって思うこともあるかもしれませんけどね。でも後悔はしないでしょう」という言葉だと思った。

人ってなんだろう。

状況を想像して、自分がどう行動するかを思ってみるだけで、たぶん変わるものがあると思う。変わるのはとんでもなく大きなこと、なのだと思う。