BRTって知ってるよね。津波で線路が破壊されたJRのエリアで、列車の代わりにバスで運行している交通システム。英語の「bus rapid transit」の略で、線路の敷地だった場所を舗装してバス専用道にしたり、列車の運行管理みたいにバスの所在地をシステマチックに制御することでラピッドな運行を実現しているもの。さらにバスの車体には日野自動車のハイブリッド車が主に使われていて環境にも優しい。つまり、見た目はバスなのだが、単なるバス代行輸送とは違うものだ。
震災の後、BRTが運行されているのは、JR気仙沼線の一部(前谷地~気仙沼間)とJR大船渡線の一部(気仙沼~盛、ほか2路線)。宮城県内を走る気仙沼線のBRTに「ホヤぼーや」や「オクトパス君」など県内の沿線各地のキャラクターが描かれている。大船渡線も同様に、「たかたのゆめちゃん」や「おおふなトン」のラッピングバスで、見ているだけで楽しくなる。
線路が破壊されてしまった鉄道区間の交通を担うBRTは、復興に向けてがんばっている地元のシンボルのひとつ。かさ上げ造成工事が進む被災地で、真っ赤なバスを目にすると、なんだか少し明るい気持ちになれたものだった。先日、BRT沿線の仮設住宅で、地元の人たちからこんな話を聞くまでは。
その話を聞いてからは、赤いラッピングバスがなんとも複雑なものに見えて仕方がないんだ。その話というのはこんなこと。
BRTはバスじゃない
東北新幹線に乗ると、自由席にも車内誌「トランベール」が座席前のラックに入っていて、ご自由にお持ちくださいってことになってるよね。(ちなみに、トランベールって緑の列車って意味だから、JR東日本のシンボルカラーに掛けたネーミングなんだよ)そのトランベールの後ろの方のページに、JR東日本エリアの全部の駅が載せられた路線図がある。その表記が、この春あたりを境にちょっとだけ変わったんだ。これは知らないだろうなあ。
かつては、路線図中の仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、山田線のところに小さく「注」という印と、欄外に「震災の影響で一部不通区間あり」とか、「バス代行輸送を行っている」というケシ粒くらいの小さな文字で書かれた注意書きが載せられていた。それが今年の夏頃、ふと気が付くとBRTが走っていない山田線についての注意書きだけになっていたんだ。
仙石線や石巻線は本開通したから注意書きがなくなって当然だ。でも気仙沼線と大船渡線のBRTで走っているのは、物体としては「バス」にほかならない。しかし、注意書きがなくないということは、鉄道としての扱いということなのか?
間違いなくそういうことなのだ。たしかに運行はJR東日本だし、運賃も列車区間から連続している。定期券の値段も鉄道と同様。もちろん線路だった場所も走ってる。だから、車両はバスだが鉄道。それがJR東日本の言い分なのだろう。
地元にはBRTではなく、鉄道としての復旧を希望する声が根強いといわれる。しかし、利用者が少ない路線で鉄道として復旧するのは負担が大きいという企業としての言い分も分からないではない。トランベールの路線図の注意書きが変わったのは、JR東日本が自分たちの主張をやんわりと表現したものなのかな。そう思った。少し寂しい気持ちになった。
しかし、本題はここからだ。
バス停がないからバスが走っているのに乗れない
とある仮設住宅に暮らしている人たちと雑談していた時のこと。
「何が不便って、バスが少ないこと。少ないっていうか1日にほんの何本かだから、買い物も病院も役場に行くのもすごく不便。それにバス停が遠いから大変なのよね、車がある人ならいいんだろうけど、一人暮らしのお年寄りで、車を持っていなければ、バスに乗るしかないでしょう。家族で暮らしていて車があったとしても、日中は若い人が仕事に乗って行くから、やっぱりバスが頼みなんだけど、そのバスがほとんどない」
どうやら地元のバス会社のバスの本数が少なすぎる。仮設住宅の近くにバス停がないから困るという話のようだ。「だけど、BRTは?」と尋ねると、「えっ?」というきょとんとした顔をされてしまったんだ。
「だって、あれは停まってくれないもの。それにBRTの停留所はバス停よりもずっと遠いんだもの」
ああ、見た目はバスでも鉄道だから、そんなにたくさん停留所がある訳ではないのかと了解した(注:追加すべき話を後で触れます)。それどころか、話していた1人のおばあちゃんなんか、BRTのことをこんな風に言ってたんだよ。
「あぁ、あれね。なんだか結構走ってるみたいだけどねぇ」
自分たちが乗れないものだから、走っていても目に入らないということだろうか。
時刻表を見ると、こんなに走っているんだぜ。少なくとも、1日に上り2本、下り2本とかの地元のバスに比べたら大変な本数だ。
実際にBRTに乗ってると、BRT同士ですれ違うこともよくある。
しかも日中の車内はがらがら。
本数が少ない区間でも14往復。多い区間では30往復以上も走っているBRT。それなのにBRTが走る道路の沿線には、バスが少なくて困っている人たち。どうにもならないものなのか?
JR東日本のホームページでは?
JR東日本にはBRTを詳しく紹介するWEBページがある。キャラクターやイラストやきれいなリンクバナーをふんだんに使ったカラフルな印象のページだ。「BRTの仕組み」というコンテンツもあって、そこにはこんなふうに書かれている。
現在運行しているBRTは鉄道の仮復旧としてのものですが、
①地震・津波発生時も可能なところまで自力走行することでお客さまがより避難しやすくなる
②まちづくりの各段階に合わせたルート設定、駅の増設等の柔軟な対応が行える
③鉄道敷を活用することにより速達性・定時性が確保できる
④フリークエンシー(運行頻度)を高め、利便性を向上させる
⑤一般道路を活用すれば、早期の運行開始が可能である
といった特徴があると考えています。
「まちづくりの各段階に合わせたルート設定、駅の増設等の柔軟な対応」。まさにそれがいま、というかBRTが運行を始めた当初から求められてきたわけだ!
震災前、鉄道として運行していた頃よりも確実に「フリークエンシー(運行頻度)」は高まっているのだから、なんとか地元の人たちの利便性向上にBRTを役立てることはできないのだろうか。
ホームページで正式に「駅の増設等の柔軟な対応」と謳っていても、交通の不便に困っている地元の人から「あぁ、あれね。なんだか結構走ってるみたいね」と言われてしまうようでは困ったものだ。
地元の人達はたくましい。だからこそサポートが必要では?
「何が困るって、バスが少ないこと」という話の続き。地元のバスは少ない。BRTには乗れない。となると「じゃあどうしているんですか?」と尋ねるわな。
帰ってきた答えは、「買い物は移動販売車が来てくれるから。あれはありがたい」
「買い物以外の用事は?」
「そりゃあ、なんとかするんだよ。なんとかしてるから、こうしてやっていけるの」
仮設の人たち同士で協力したり、さまざまな支援を利用したり。仮設住宅での生活が始まって4年。そして仮設を出るまで場所によってはさらに3年以上。そんななかでも地元の人たちはたくましいんだ。
でも、だからこそ、なんだと思う。
余談だが、移動販売車で知ってるおばあちゃんが買い物していたので話しかけた時のこと。移動販売ってお店で買うのと値段は同じくらいなんですねと、販売車の外に広げられた売り場には、ケースに山盛りになったカップ麺を指差すと、ふだんは笑顔が印象的な彼女が顔をしかめた。
「これね、避難所で嫌ってほど食べたから。もう一生食べないだろうね。見たくもないし、名前も呼びたくないのよね」
そりゃ仮設住宅にもカップ麺が大好きな人もいるかもしれない。でも同じ避難所にいた人たちの間では、同じような感情を持っている人が多いという。カップ麺もそうだが、菓子パン、コンビニおにぎりなどもそうだ。ありがたかったし、お世話になったのだけどもう勘弁。それでも移動販売車では、そんな商品でも売りに来る。
「駅の増設等の柔軟な対応」といいながら、運行が始まって約3年なのに、地元の人には視界にも入らないBRT。一時期「よりそい」という言葉がよく聞かれたけれど、とても大変なことなんだと痛感するよ。「よりそい」なんて簡単に言えることじゃない。
何かが決定的に足りないのを感じる。どこから手を付ければいいのか、とにかく糸口を探し出さなきゃならないね。