この夏、三島市の生涯学習センター(図書館)で開催された平和のための戦争展に、陸軍の兵隊用の水筒の実物が展示されていた。
本当に実際に使われたものなのかと不思議に思えるほど立派な水筒だった。本体の塗装はところどころ剥げてアルミの地金が見えてはいるものの、とくにベルトなんてしなやかな感じで、まるで新品のように美しい。手入れをしながら大切に保存されてきたものなのかもしれない。そして何より驚いたのは、キャップがベークライト製だったこと!
この美しい水筒を見て、まったく対照的だった父の水筒を思い出した。
小学生の頃、初めてキャンプに行くことになった時、シュラフやらザックやらレインハットやらもろもろを近所にオープンしたばかりの登山用品店「CAMP-2」で買ってもらったのだが、「水筒は父さんが持ってるから」と、帰宅後に手渡されたのは、兵隊時代に父が使っていたという水筒だった。「ベルトとキャップを外せばヤカンとして直火に掛けることもできるんだぞ」との言葉は魅惑的だったが、何しろボロボロで貧乏臭くて、どうしても使いたくなかった。大好きな父からのプレゼントだったのだが、強硬に断って、もう一度CAMP-2に行って、やはり直火に掛けることができるアウトドア用の水筒を買ってもらった。
今になって思えば、父の水筒を譲り受けていれば良かったと悔やまれるのだが、当時どうしても受け入れることができなかった最大のポイントは、水筒のキャップだった。父の水筒はコルク栓だったのだ。
平和のための戦争展で展示されていた軍用水筒のベークライトキャップは、駄々をこねて買ってもらったアウトドア用水筒のキャップと瓜二つ。今でも十分使えそうだった。しかし父の水筒のキャップはところどころ黒く変色したコルク栓。
その差は何なのだろう。
もしかしたら展示されていた水筒の持ち主は階級の高い人で、特別上等な水筒を持っていたのかもしれないなどと想像してみたが、展覧会のスタッフで戦争経験者の方の言葉から、もっとありそうな理由が見えてきた。カギは「ここに展示されているのは比較的古いものみたいなのよね」との言葉。展示物の多くは太平洋戦争が始まる前に除隊した人の持ち物なのだという。
古ければ古いほどボロになると思いがちだが、戦争の時代にはその逆だった。戦争の深みにはまっていくに従って、工業製品の品質は低下し、材料も代用品が多くなり、だんだん貧乏臭くなっていく。戦争に使う兵器、たとえば飛行機ですら、昭和16年当時より18年、さらに19年と歳を重ねるほど粗悪品が増えて稼働率が低下していった。最前線では銃弾までもが不足。昭和20年、本土決戦が叫ばれていた頃にはライフルすら足りなくなって、木製の模擬銃に銃剣を着けたもの、さらには竹槍までが主要な武器になっていたほどだ。
父が兵隊に行ったのは昭和19年。旧制中学の学生が卒業前に出征するくらいだから、町の工場にもほとんど男手は残っていない。水筒のキャップのネジ加工ができる職人もみんな戦争に取られていただろうし、キャップの材料だったベークライトなんて、飛行機や軍艦の操縦装置の握り手とか、通信機のケースとか、水筒よりももっと戦闘に直結する用途に優先されていたはずだ。
平和のための戦争展に展示されていた「美しい軍用水筒」。それはコルク栓のボロボロの水筒の記憶と重ねあわせることで、戦争が続く中で国が、国民が、生活がどんどん疲弊していった歴史を物語っているように思えた。