ドラマ「ごめんね青春!」のロケ地になった静岡県立三島北高校のあたりに、見張りの兵隊のための歩哨兵舎が点在するのは知ってましたが、三島がこれほどの軍都だったとは。平和のための戦争展の展示内容を参考に紹介します。
手書きの資料ですが、読むとなかなか味わいがあります。
営内の若い下士官の間には、横須賀軍港の自由主義的風潮が多分に残っていて、市民との接触も極めてスムーズであったので町家の娘との恋愛結婚も多く、住宅の大半はこれら将校下士官向きの借家で占められていた。家賃不払いや滞納のないのが家主から歓迎されたのである。
また、町の商店・飲食店・娯楽機関の60%までが軍人家族と数千の兵隊たちによって利用され、日曜・祭日ともなれば町も電車もカーキ色の軍服一色に塗りつぶされるという景況で、町は軍隊さまさまである。
引用元:「平和のための戦争展」の展示より
「連隊の配置図」を見ると、現在三島北高校や三島北中学校、日本大学三島キャンバスがあるあたり一帯が陸軍の敷地だったようです。自分が育った地方の小学校もそうでしたが、軍隊の宿営地の跡地が学校などの文教施設や役場になっているところは多いようです。三島の「配置図」によれば東レの工場のあたりは大練兵場となっています。たぶんバレーボール東レ「アローズ」が本拠地とする体育館も軍の敷地だったんでしょう。思いのほか敷地が広かったことも意外ですが、現状からは想像しにくい軍事エリアが広がっていたことに驚かされます。
ちなみにこちら、三島北中学前の歩哨兵舎。なんか「天空の城ラピュタ」に似たような歩哨兵舎が描かれていたようないなかったような。
さらにこんな手描きの地図も。
なるほど。商工会議所がたっている場所は、泣く子も黙る憲兵隊の拠点だったということですか。竹刀で床やテーブルをバシバシ叩く音や、取り調べを受ける人の悲鳴が聞こえてきそうで、ちょっとショックな感じもします。
三島の町の山手には国立遺伝学研究所という施設があるのですが、ここは戦時中、一式陸上攻撃機という海軍航空隊の爆撃機の機関銃座をつくる軍需工場だったそうです。この工場には伊豆地方で歴史を誇る韮山高校の学生たちが動員されていたとのこと。また伊豆の海岸沿いにはモーターボートによる特攻基地や、山の中にトンネルをほってつくった軍需工場もあるのですよ。
いまは平和な三島の町も、以前は「いくさ」の土地だったのです。
戦争展には三島からすぐ近くの東富士演習場についての展示もありました。
左下に小さく記された地図に、御殿場でタクシーの運転士さんがこんなこと言ってたのを思い出しました。
戦後すぐアメリカ軍は沼津の今沢基地(沼津市片浜付近)から東富士演習場に戦車を運びこむために、道路(いまの国道246号線)を突貫工事で整備したのだとか。御殿場の町中の道路には、ところどころ「どうしてここだけ広くなっているのか」と不思議な場所があるのもその名残らしいよ。この道を戦車が走っていたんだからなあ――と感慨しきりでした。
その頃、沼津の海岸から富士山の裾野を通って走っていた戦車はたぶんこのタイプ。朝鮮戦争の頃まで米軍の主力だったM4中戦車。田舎道でこんなのに出会ったら腰抜かしてしまいそうです。
今沢基地は沼津市のシンボル千本松原にいまもあり、時々アメリカ海兵隊の「AAV7」水陸両用装甲車や、自衛隊のホバークラフト型の上陸用舟艇「LCAC」の訓練が行われています。沼津市民にもご存じない方が多いようで、のどかな海岸線で突然上陸演習のようなものに出くわしてびっくりしたという話もしばしば耳にするほど。
ふだんの生活の中では、かつて軍人さんたちが闊歩していたことや、現在の街並みにも軍隊の影響が残されていることなど気づくこともないかもしれません。しかし、少し調べてみるとさまざまな遺物や遺跡、痕跡が残されているのです。三島や沼津でもそうなのですから、おそらく全国の多くの土地に、○○連隊の駐屯地跡とか、海軍海防艦沈没の碑などが残されているはず。機会があれば市史や町史を調べて実際に散歩してみて、手描きの地図でも作ってみてはいかがですか。