9月14日、女川駅から海へとまっすぐ続くプロムナードが完成した。お店はまだほんの数店舗しかオープンしていないけれど、女川の町の雰囲気はさらに明るい方向に変わっていくことだろう。
震災後、とくに一昨年あたりから、女川の町の変貌は目覚ましかった。土地のかさ上げ工事や、山の掘削工事がどんどん進む。国道も県道も町道も行くたびに付け替えられるような印象だった。女川在住の人でさえ、「津波で何もなくなった上に道までなくなってしまって、自分がどこを走っているのか分からなくなる」とこぼしていた。考えてみれば、町は人でできている。どこに誰が住んでいるとか、どこのお店に誰がいるとか、場所と人の関連づけが組み合わさって、人が暮らす町は形作られる。その関わりの網目がすべて失われた上、つながりの記憶をとどめていた道までなくなっていた頃、女川の人間ではない自分でさえ「消しゴムで消された町」にいるような不安を感じていた。
たとえば、知り合いの仮設住宅に行こうと走っていると突然道がバリケードで封鎖されていて、かなり大回りの迂回をさせられる。津波で流された知人の家だった場所が、ある日、跡形もなく削り取られている。
そんなことの繰り返しだった。女川人でない自分が不安を感じるくらいだから、女川に生まれ育った人たちは町の変化をどう感じられていたことか。
(たとえば完成したばかりの新しい公営住宅に、例によって迂回路を通って行った時に「あまり言いたくはないけど、ここは女川って感じがしない」と暗い表情で話した人もいた)
今年(2015年)3月21日、女川駅は新たにオープンした。この日は「まちびらき」の日とされた。とはいえ周りにはほとんど何もない。造成中の赤土の土地が広がっているばかり。それなのに「まちびらき」とは、と少し違和感も覚えていた。
しかし、女川駅再開の2カ月ほど後、初めて駅を訪ねた時、印象がガラリと変わった。その日も変わってしまった道や町の風景に心のなかでため息をつきながら、駅にはどう行けばいいってんだと軽く毒づいたりもしていたくらいなのだが、仮設の駐車場にクルマを置いて、駅までの石畳を歩くうちに、ここが女川の新しい中心なのだということが全身で理解できた。たしかに何もない。でも美しい駅がある。駅の前には海(そこには金華山などの島へゆく観光ピアもある)へと続くプロムナードがある。その反対側には石巻へつながる線路が続いている。
たしかにいまは何もないに等しいけれど、何もないことがマイナスではなく、可能性を感じさせるもののように思えてくる。それまでの数年間、女川の町に感じていた不安のようなものが払拭されていくようだった。たしかにまだ何もないに等しいのだが。
ここから始まることを印象づけてくれる希望の場所。町に中心ができると、人の気持ちが変わる。プロムナードにそって、花が咲いていくように、人と人のつながりが再生されていきますように。自然とそんなふうに思っていた。
女川駅前のプロムナードがオープンした翌日、陸前高田ではかさ上げ工事に大活躍してきた巨大なベルトコンベアの運転が停止された。陸前高田でもこれからまちづくりが本格化していくのだろう。震災でひどい被害を受けた町々に、まずは女川駅のような「中心」が形作られて、みんの不安な気持ちが希望に変化していきますように。