過ちを繰り返さないために何から始めるか

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

8月の暑いこの日がめぐってくるたびに、原爆死没者慰霊碑に刻まれたこの言葉を思い出します。そして、繰返してはならないと心から思います。けれども、どうすれば繰り返さないで済むのか。世界の歴史はあまりに遠いところで動いていて、自分たちには手が届かないという無力感に包み込まれそうになるのも事実です。

昭和20年8月6日午前8時15分

70年前の今日、昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島の中心部上空で炸裂した原子爆弾は、一瞬にして広島の町を廃墟にし、多くの人々の命を奪いました。

広島原爆の象徴ともいえる原爆ドームが原子爆弾でも消滅しなかったのは、建物が頑丈だったからではありません。爆発がドームのほぼ真上で起きたため建物がなぎ倒されずに済んだのだそうです。原爆の後の広島の写真を見ると、本当にほとんどの建物が消滅しているのが分かります。

町がまるごと消えてしまうほどの猛烈な爆風と熱線、そして放射線障害によって、その年の暮れまでの間に約14万人の方が亡くなられたと言われています。

原爆死没者名簿に搭載されている人数は、昨年の奉納された時点で「29万2325人」であるということです。

これほどの命を、私たちは「数」ではなく、1人ひとりの人の顔として想像する事ができるでしょうか。戦争は人間の想像力を越えた破壊を人間同士の間にもたらすのです。私たちはその災禍が繰り返されるのを止めることできるのでしょうか。

私たちは、ただ言葉として「過ちは 繰返しませぬから」という言葉を繰り返していいのでしょうか。

透けて見える構図をとおして

原爆投下を含め、第二次大戦末期に日本の多くの都市に対して、無差別爆撃による焦土作戦を行った航空部隊の司令官にルメイという軍人がいました。

原爆投下を命じたのはアメリカのトルーマン大統領で、ルメイ自身には職権がなかったとも言われますが、彼が日本の都市への無差別攻撃を指揮したことは紛れもない事実です。

彼は戦後どんどん昇進して大将になりました。アメリカ空軍のトップである参謀総長にもなりました。そして1964年、その彼に、日本は勲一等旭日大綬章という勲章を授与したのです。当時から大きな論争になったそうですが、あなたならこの叙勲をどう考えますか。

敗戦を境に、それまで「鬼畜」と呼び憎しみの対象だったアメリカは、日本に民主主義と平和憲法、そして日米安保による戦争に参加しない日本をつくった尊敬すべき友人に一変しました。180度の大転換です。「変節」と呼ぶ人すらいます。この国民的変節が、ルメイ将軍叙勲の是非を考える上で、非常に重要な問題を引き起こします。

多くの日本人を殺した人物に勲章を授与するなんて許せない。ルメイは、そしてアメリカは肉親や同胞の敵です。だから叙勲などありえないと思うことは、戦時の憎しみを持ち続けることにつながるかもしれません。反対に過去は過去として割り切るべきという意見もあるでしょう。しかし、心情としては非常に難しいことであるかもしれません。

歴史は、とくに日本の戦前・戦中、敗戦、戦後の歴史は大きなねじれを内に抱き込んだまま流れてきたのです。安保闘争で戦った学生たちを学徒出陣で戦地に赴いた特攻隊員になぞらえる考えは広く知られています。国のために命を擲った若者たちと、自由と平和のために時の政府に対する反乱を起こした20年後の学生たち。思想信条は違うものの極めて似て見えるのは、歴史がねじれながら進んでいることの現れかもしれません。歴史はまっすぐな時間軸の上で理解できるものではないのかもしれません。

そう考えたとき、ルメイ叙勲賛否の問題と同じような図式の問題が、いま現在も、さまざまな場所で発火しているように思いませんか。

広島被爆の日、過ちを繰り返さないためにどうすればいいのかを考える上で、現在起きている様々な問題を、ねじれた歴史の中において眺める視線に何らかの意味があるのではないか――。そう思うのです。(たとえば、戦時中に多くの朝鮮人が帝国軍人として動員されたにも関わらず、戦後に朝鮮半島を日本が手放したために、在日朝鮮人が旧軍人としての援助を受けることができなかったこともそうでしょうかつて日本人として扱われた時代があったことを抜きに今日の日韓関係を考えるのは難しいでしょう)

戦争とは何なのか。戦争をしないために、私たち1人ひとりに何ができるのか。戦争は手の届かないところで、誰かが起こすのではなく、もっと身近な問題であることは間違いないのです。

8月6日。私たちはまず、無力感を捨てることから始めるべきなのかもしれません。亡くなられた多くの人たちにちゃんと誓える自分になるために。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

そう言える自分になるために。