「ヒューストン、こちら<静かの海>基地。イーグルは舞い降りた」
(Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.)
7月20日は、アメリカのアポロ宇宙船が初めて月面着陸に成功した記念日です。月着陸船の名前は「イーグル」。世界標準時7月20日20時17分(日本時間21日05時17分)に、月面の「静かの海」と呼ばれる場所への着陸に成功しました。
着陸からさらに約7時後の1969年7月21日02時56分(日本時間7月21日11時56分、米東部夏時間では7月20日22時56分)、さらに有名なメッセージが発せられます。
That's one small step for man, one giant leap for mankind.
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
この言葉は月に降り立った瞬間、アームストロング船長が宇宙服の中のマイクに語り、38万4400km離れた地球へと送信されたもの。月着陸船のステップから、軽くジャンプするように月に降りる彼の映像は、46年の時を経ても身震いするような感動にあふれています。
イチキューロクキューという年
1969年といえば、日本は「70年安保闘争」のまっただ中にありました。それでも、アポロ11号の月着陸は、日本中にアポロブームを巻き起こします……
と書きながら、ふと思うところがあって、日本の世代別人口を調べてみて驚きました。アポロ11号が月着陸に成功した後に生まれた人、大括りに45歳以下として人口を合計してみると、その人数は6250万人以上。日本の全人口のほぼぴったり半数なのです。
1歳でアポロの記憶がある天才的な人もいるかもしれませんが、まあ3歳4歳以前ののことを覚えている人は稀でしょうから、アポロ11号の熱狂を生で経験して覚えている人は、日本の人口の半分以下ということになります。(ちょっとショックでした)
ってことは、アポロに乗り組んだ宇宙飛行士たちが着ていた宇宙服が眩しいほどに真っ白だったことへの驚き(その頃、宇宙服といえば銀色とかオレンジ色というイメージが強かった)や、不思議なデザインのヘッドギアへの憧れ、3人の宇宙飛行士のうちで、たった1人、月周回軌道に残されたコリンズ飛行士への同情なんかはもとより――、
たとえば当時流行ったビリー・バンバンの「白いブランコ」も、新谷のり子の「フランシーヌの場合」も、内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」も、カルメン・マキの「時には母のない子のように」も、皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」も、横綱大鵬の全盛期も、東野英治郎の「水戸黄門」も、アニメ「巨人の星」も「怪物くん」も「サスケ」も「どろろ」も「タイガーマスク」も「ムーミン」も、「サザエさん」や「8時だョ!全員集合」がスタートしたのも、東大安田講堂の攻防戦も、明治製菓のアポロチョコがアポロの月着陸にちなんで発売されたのも、リアルタイムで経験したのは今や国民の半数以下だということなんですね。
そうすると、月着陸のことももう少し丁寧に説明した方がいいかもしれませんね。
人類初の月着陸というと、「偉業」とか「快挙」という言葉が添えられることが多いと思いますが、宇宙開発には、冷戦関係にあった米ソ(ソビエト社会主義共和国連邦:ソ連:現在のロシアのほか、ウクライナ、ウズベキスタンなど15の共和国による連邦)の軍事的競争という側面があります。人類初の人工衛星スプートニク1号や、ユーリ・ガガーリンを宇宙に運んだボストークロケットはソ連の大陸間弾道ミサイルを改良したものでした。アポロ宇宙船を打ち上げたサターンロケットの開発者として知られるフォン・ブラウンは、第二次世界大戦中ナチス・ドイツで「報復兵器V2ロケット」を開発したその人に他なりません。
ロケット技術は核ミサイル技術そのものです。月まで3人の宇宙飛行士を運べるほどの巨大なロケットを手にするということは、巨大なペイロード(搭載重量:サターン5型の場合はなんと約120トン)、つまり、より大きな爆弾を飛ばすことができるということです。さらに、地上のコンピューターで計算した軌道のとおりに宇宙船を飛行させ、月にまで着陸させる技術は、ミサイルを精密に制御することに直結します。
二大核大国として、地球上の国々を二分するような勢力争いを続けてきた米ソ両国にとって、宇宙開発競争は単なる国威発揚のためではなく、軍事的な優位をかけた闘いだったのです。だからこそ、人類初の人工衛星や宇宙飛行でソ連の後塵を拝していたアメリカは、無理を押してまでも、60年代の終わりまでに人類を月面に到達さるという方針を打ち出したのでした。
First, I believe that this nation should commit itself to achieving the goal,
before this decade is out,
of landing a man on the Moon and returning him safely to the Earth.
まず、私はこう信じている。この国がゴールを達成することをコミットすべきだと。ゴールとは、1960年代の終わりまでに、人間が月に着陸し、かつ安全に地球に帰還することだ。
危うくともそこにある平和へのマイルストーン
1969年1月、アメリカでは前年の大統領選で勝利したニクソン政権が誕生しました。泥沼のベトナム戦争に対して、アメリカ国内では若年層を中心に反戦運動が激化していましたが、ニクソンは、彼ら大学生に対して反感をもつ、しかし大多数のサイレント・マジョリティ、つまり、伝統的で保守的なブルーカラー層に訴えかけて当選したといわれます。ニクソンは「秩序の回復」とベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を政策として掲げ、実行しました。時代は大きく変わりつつありました。
月着陸船は上下セパレートな構造になっていて、着陸の際には脚のある基部からのロケット噴射でスピードを落としてタッチダウンしますが、月を離れる際には上部だけで飛んでいく構造です。つまり、着陸船の下部は月の上にずっと残るのです。
その月着陸船の基部の脚の部分には、下のパネルが設置されています。
「ここに、惑星地球からやってきた人間が、月面に初めて足を踏み降ろした。1969年7月」。アームストロング船長、コリンズ飛行士、オルドリン飛行士のサイン、さらに一番下にはニクソン大統領のサインも記されているプレートの中央に刻まれたのは、
WE CAME IN PEACE FOR ALL MANKIND
「私たちは全人類の平和のうちにやって来た」
という言葉です。軍拡の延長線上にあった宇宙開発競争での勝利宣言のように見えなくもありませんが、ここには「PEACE FOR ALL MANKIND」という言葉がしっかりと刻み込まれているのです。(しかもプレートの中央に!)
私たちは、いつでも月に行けば、このプレートを見ることができるでしょう。さらに、月着陸船イーグルというモニュメント(着陸時には「静かの海基地」とも呼ばれていましたが…)には、平和のシンボルである月桂樹のオブジェや世界73か国の人々のメッセージが録音されたレコードに加え、ユーリ・ガガーリンや、最初の宇宙事故の犠牲者であるソ連の宇宙飛行士ウラジミール・コマロフを記念するメダルも月面に残されているのだそうです。
アポロ11号の月着陸は、当時固唾をのんで見守っていた全人類の希望でした。「人類の進歩と調和(翌年開催された大阪万博のスローガン)」の象徴でもありました。しかし、月面着陸成功の背景に軍拡競争があったことも決して忘れてはなりません。しかし人類は、その上でなおも平和を希求している……。
アポロ11号の月着陸の後も、世界に平和は実現されないままです。有史以来、人類は戦争と平和がないまぜとなった歴史を生きてきました。その歴史の先に私たちはどんな未来を築いていくのでしょうか。ひとつ確かなのは、戦争の血を引く宇宙ロケットが月まで飛んでいったこと。そして、戦争の血を引く宇宙ロケットに乗って月に着陸した人たちが、平和へのマイルストーンを月面に残してきたということです。
それに、平和って「戦争がないこと」と同義ではないはずです。貧困や差別、格差を是認する社会や、一部の人たちが優遇されるしわ寄せが構造的に多くの人を苦しめるような世の中の在り方も平和とは言えません。それは地球上の日本という小さなエリアから遠い場所で起きていることではないのです。日本の国の上でも繰り返し繰り返し、最近では状況がどんどん悪化している現実です。農山村や大きな自然災害から立ち上がろうとしている人たちを、まるで見限るかのようにして進められる都市の狂騒(オリンピックをめぐることもそうです)、放射能の被害を受けた地域の人たちの切り捨てとしか言いようのない政策(原発災害を立地している福島県だけに負担を押し付けるような在り方も含めてです。実は、放射能被害に遭っている関東地方の都市住民も切り捨てられているにもかかわらず)。
国と国の間で戦われる目に見える戦争だけではなく、地球上はいま、見えにくい数多くの争いに覆われていて、もしかしたら46年前よりもずっと酷い状況かもしれません。
あなたには月面の静かの海に残された月着陸船の基部が見えますか。
Mare Tranquillitatis―― 静かの海は月のほぼ中央、月のうさぎの頭の辺りです。
参考動画
【1969年7月21日】 アポロ11号が月面着陸 歴史的な第一歩
懐かしの毎日ニュース