ここにも男はいた ! 藤川球児、再スタートは生まれ育った高知から

1998年はドラフト当たり年でした。松坂大輔や上原浩治、福留孝介が1位指名されたのもこの年です。阪神タイガースはドラフト1位で高知商業の藤川球児を指名しました。

『球児』という名前はいかにも野球をやるためにつけられたような名前ですが、まさしくその通り。球児の父親が草野球でノーヒットノーランを達成した翌日に生まれたこどもだったため『球児』と名付けたそうです^^

タイガースに入団した藤川球児は期待されながらもなかなか結果を出すことができずに低迷していましたが、2004年からは先発から中継ぎ、抑えに活躍の場を求めると一気に華ひらきました。

私はプロ野球のピッチャーの中で彼が一番速いと思ったことがあります。

150キロを超える彼のボールは当然速いのですが、何よりも他の選手と決定的に違うところは彼の投げるストレートは異常なくらい伸び上がるところです。そう、全盛期の江川卓のようなボールです。

江川は空振りしたバットが投げたボールの上を通過したらピッチャーとして屈辱と言っていましたが、おそらく球児のボールもバットの上を通過したのではないでしょうか。それほど伸びがあるストレートでした。ホップする感じです^^

スピードガンを見て、『こんなに出てるの?』と思う選手もいます。球児の場合は『もっと出てるんじゃないの?』そう思わせるストレートでした。

【すぽると】魔球と言う名のストレート 藤川球児

メジャーリーガーになることを夢見ていた彼は2012年、シカゴ・カブスと契約し念願のメジャーリーガーになります。しかしメジャーリーガーになった彼はケガとの闘いで思うような成績を残すことができませんでした。今年からレンジャーズのユニフォームを着ることになりましたが、5月22日レンジャーズを自由契約になってしまいました。

自由契約になった球児にメジャー他球団からもオファーがありました。
日本でも古巣の阪神タイガースが真っ先に手を挙げました。高校を卒業してメジャーリーガーになるまでの12年間を過ごしたタイガース復帰が既定路線かと思っていましたが、意外にも球児が選んだ道は阪神タイガースでもなければ日本のプロ野球でもありませんでした。

彼が選んだ道はプロ野球独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでした。

彼は生まれ育った高知で野球をすることを選んだのです。
私は正直本当にびっくりしました。

彼は『僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げて貰いたい!』と言いました。
そして『僕が投げる事で喜んでくれる人達の顔が見たい。』とも言っています。

カープを選んだ黒田博樹といい、この藤川球児といい、男ですね!
鳥肌が立ちました^^

私は根っからのジャイアンツファンで以前ならジャイアンツ以外の選手を応援することはほとんどありませんでした。

しかし、黒田博樹といい、この藤川球児といい本当に応援したくなるような男気あふれる選手です。藤川選手が投げる姿は将来プロ野球選手を夢見る子どもたちに、きっと夢と希望を与えてくれるでしょう。

自分が生まれ育った高知でのスタートを選んだ藤川球児。
第2の野球人生のスタートを心から祝福したいと思います。

そして、またいつの日か12球団どこかのユニフォームを着てもらいたいですね。

プロ野球 藤川球児 三者連続三球三振

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