あえて「棄民」について考える

日本の経済が回って行くことがひいては被災地の復興に役立つのですという被災地発の表明もあったけれど、それに乗じて経団連だの大企業のアライアンスが言い出しのは何だったか。「早く原発を再稼働しないと、日本の国際競争力が弱まる」の大合唱。2度のオイルショックをも乗り切った日本企業が、まるで献血すらいやがって、1円でも1セントでも収益を伸ばそうと血眼を上げていたではないか。

被災地以外の多くの地域でお祭りとか花見とかが「自粛」される中。多くの大企業が被災地に社員ボランティア送り出していた。出掛けて行った人たちはたくさんの働きとたくさんの得る物を胸にしたことだろう。でも、送り出した経営者たちのすべてが必ずしも同じ目線でいたのだろうか。

そもそも私たちは、たとえば勤務する会社とか、自分が住まう自治体とか、その先にある国家とか、ある種の権限をもっている立場に対して、何を付託してきたのだろうか。

棄民を考える上で、最終的な論点となるのは、この点に相違ない。

ひとりの人間ではなし得ないことができるから、人はグループを、コミュニティを形成する。企業の経営者は一方的に従業員を雇用しているのではなく、ともに何かを実現するために、従業員は企業のルールを守りつつ成果を目指す。コミュニティの構成員という立場から見れば、構成員たる個の安全や安寧とともに、コミュニティ全体の安寧、幸せを実現することを、コミュニティの中で権限を持つ存在に付託しているのに違いはないだろう。

かけがえのないもの。私たちが、たとえばコミュニティ、あるいは国家とかに託しているのは、あまりにも大切すぎて、場合によっては自分ひとりでは守れないかもしれないもの、と考えることができる。

それは、たとえば「ちょっと右腕が大けがしちゃったから、体の他のところに影響が出ないように切っちゃおうか」なんて判断ではあり得ない。もちろん、あまりに傷が深くて切断の判断が必要な場合であったとしても、切り(棄てられる)腕は自分の体そのものなのだ。当然、痛みもある。亡くした後の困難をも覚悟して、おそらくは全身体からの同意を得た上でなくなく切除に応じられないような、そういうものだろう。

しかし、いま行われている「棄てる」という行為は、そんな切羽詰まった状況下で否応無しに遂行されているものではない。

曰く、原発を再稼働しなければ国際競争力が……
曰く(言うてはいないが)、賠償の総額を抑えなければ……
曰く(言うてはいないが)、みんな復興進んでると思ってるし……
曰く(言うてはいないが)、関係ないと思ってる国民多いからいいじゃん……

日本全体の「国力」とか「経済力」とかが、ほんの少しだけ落ちたって、自然災害で大変な目にあってしまった仲間たちと一緒に頑張って行こうってことに、なんの戸惑いがあるのだろう。傷ついた仲間が復帰したら、もっとみんなが強くなれるっていうように、どうして思えないんだろう。

「あー、ここ傷ついちゃった。残念だけど切除ね。あーここもか、これもダメだね、切っちゃうか」なんてやってて、敢えて言うけど「國家」って何を守れるの?

棄民という言葉は震災の前から時々耳にしてきたが、言葉の使われる視点が変わったように思う。震災の前にはホームレスの人たちや非正規雇用の雇い止めで住む場所を奪われた人たちが「棄てられた人」というニュアンスで棄民と呼ばれていたように感じる。しかし、いまは違う。

いま、棄民という言葉に晒されているのは、為政者・行政・経営者(というのも、ブラック企業・ブラックバイトなどの問題を下敷きにして)も含めて、

「人間が人としてあるべき上で大切なものやこと、人権、コミュニティ、故郷、仕事、生活のインフラ、健康、そして家族を営むことなど諸々」を

故意に破却し、蹂躙してなお平然としている。その被害に直面している人のことだ。

日本は、国内難民と、国内難民のおそれのある人たち、そして現在はまだ命すら得ていない将来の国内難民予備軍(ただし将来には国外に放逐されて、20世紀的な意味での難民となるかもしれない)ばかりの国になってしまうのだろうか。

棄民とは、基本的人権を有すると表向きは言いながら、その憲法をすら尊重しない人たちによって進められている「悪しき社会変化」の中で顕在化してきた、人類史上まれに見る悪逆の「最初の犠牲者」と位置づけることができるのではないか。

東北には縁がありませんから、なんて言ってはいられない。たとえば首都圏で大災害が発生して、数十万人に犠牲になり、政府や企業の機能が1カ月近くも停止したらどうなるか。政府は国民をどうやって助ける? 東北で棄民をつくり出すような政府が。将来の世代に向けて棄民の時限爆弾を受け渡そうとする人たちが。

答えは簡単でしょ。明日、棄民になるのはあなたなのです。

◇以下は追記です。

世界が全体に幸福にならないうちは

このような話をしている時に思い出すのが、大川小学校、東日本大震災で多くの児童が失われなくていい命を奪われてしまった場所のことです。小学校のまわりにあった民家などはすべて流され、道すら分からなくなった後も、体育館の横にあった屋外ステージなのかな、その外壁に震災より前に卒業した子供たちが遺した壁画が残っています。

世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない:大川小学校に遺された宮沢賢治にインスパイアされた言葉

「世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

元になった文章は少し表現が違うようです。しかし、この文を書こうとした小学生は、こうでなければならないと思ったのに違いない。そして、その言葉が、今も大川小学校に残され、この地を訪れる人にメッセージを送り続けているのです。

そしてこの言葉を見ると、同時に震災から大東亜戦争、戦前と戦後、そもそも明治維新のその後から日本人の中に受け継がれてきた意識について、鋭い批評を問うている佐藤健志の次の言葉も思い出すのです、「とはいえしかし」と。

しかし、おのれの手を汚してでも秩序や権益を維持しようとするのは、疑いなく大人の態度と言える。真の問題は、そんなアメリカを無条件に美化した「十二歳の少年」――すなわち日本人の未熟さに求められなければならない。

引用元:「震災ゴジラ 戦後は破局へと回帰する」佐藤健志 VNC 2013年

12歳の少年とは、日本を占領したダグラス・マッカーサーが、日本の民主主義の成熟度について喩えた言葉。アメリカ人が40歳なら日本人は12歳だと。(いまもそ評価はあまり変わってなさそうです)

たとえ12歳と揶揄されようとも、自分は賢治の言葉に引かれます。その方向に進む道があると確信します。12歳だろうがなんだろうがね。

安倍総理、「戦後」というもののアンビバレントな様々なものを一身に背負い込んでくれたという点に関してはすごいことだと評価します。しかし、戦前への回帰を美しい国という言葉で修飾しつつ、アメリカでの演説を公約のようにをハンドリングすることで、あなたのお腹が膨らみ上がったからには、やがて破裂してしまう他ないことを、ご当人であるあなたは知っているのでしょうか。

あなたの愛するアメリカとは70年ほど前、死闘と呼ぶよりほかない戦いを3年半以上にわたり繰り広げたのです。その後、日本は敗戦しました。そしてアメリカの若い軍人たちが作った草案による憲法を自らのものとしました。

そのことに乱暴にも切り込もうとされているのでよ。

お祖父さま、大叔父さまであってもさすがに、あなたの身の上を案じてお諌めすることと思いますけど。

しかしながら、あなたご自身のピンチである以上に、あなたがハンドリングしようとしているこの「國家」が危殆に瀕していることは、誰の目にも明らかなのですよ。おそらくあなた以外の誰の目にも。