プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その12】

球団別のNo.1はいよいよこれがラスト。最後は近鉄バッファローズ。

子どものころの近鉄の帽子やユニフォームはなかなかかっこよかった。帽子は猛牛マークでこれまたかっこいい。被っている友達もけっこう多かった。

近鉄は1950年に近鉄パールズとしてチーム発足。ここから1968年までの19年間でAクラスが1度もない。しかも1957年から1967年までの11年間でなんと10回最下位になっている。1958年に至っては130試合で29勝しかしていない。

この1958年のペナント、パ・リーグは西鉄が優勝した。西鉄の稲尾は1人で33勝。近鉄のチーム全体の勝ち数よりも多く勝った。

自分が野球を見始めた1980年ころ、近鉄は強いイメージだっただけに驚いた。
近鉄一筋317勝の鈴木啓示。のちには阿波野秀幸や野茂英雄など球界を代表するピッチャーの活躍で優勝争いを毎年するくらいのチームになるのだが。。。

しかし残念ながら近鉄は2004年を最後にチームは消滅してしまった。

近鉄の歴代外国人を見てみる

'60~'64 ジャック・ブルームフィールド 【首位打者 '62'63】
'79~'80 チャーリー・マニエル 【打点王 '80 ホームラン王 '79'80】
'84~'88 リチャード・デービス ※'85に40本、109打点、打率.343
'88~'95 ラルフ・ブライアント 【打点王 '93 ホームラン王 '89'93'94】
'96~'03 タフィ・ローズ 【打点王 '99'02 ホームラン王 '99'01'03】
※タイトル、在籍期間は当チーム時のみ

中日の2軍、年俸700万から近鉄の伝説助っ人外国人に!

ラルフ・ブライアントが中日の2軍にいたということは有名な話。放出した選手が活躍すると実力を見抜けなかったと後々まで言われる。広島カープにいたソリアーノは日本での成績はたったの9試合で17打数2安打4三振、打率.118だったが、広島退団後メジャーリーグ16年間で2,095本のヒットと412本ものホームランを打った。ソリアーノもこういう話になるとよく出てくる。

日本人ではイチローを見出せなかった土井正三もよく言われる^^;

前置きが長くなったが中日の場合は少しだけ事情が違う。中日に入ったのが1988年の5月。そして6月には近鉄に移籍。ブライアントは2軍戦で試合数26、本塁打6、打率.275、三振24の成績だった。

三振は多かったものの中日の2軍スタッフは長打力が魅力のブライアントのトレードに反対していたのだ。しかし当時の中日の1軍は郭源治が活躍、打者ではレーシッチがいたため1軍に上がれる確率は低かったためこのトレードが成立したと言われている。それと近鉄の主砲リチャード・デービスが大麻取締法違反で逮捕されてしまい近鉄に大砲がいなくなってしまったことも大きい。

近鉄に移籍した年に、わずか74試合の出場で34本のホームランを打っている。だがこの年ドラゴンズは2位のジャイアンツに12ゲーム差をつけて優勝。優勝に盛り上がってブライアントがパ・リーグで活躍したことなんてこの時はなんとも思わなかったかも。。。

ブライアント伝説のはじまり

前年度最下位だった近鉄は1988年、仰木彬が監督に就任。仰木?誰?たしかこんなふうに感じたような記憶が。。。

この年、近鉄は移籍してきたブライアントの活躍でペナントレースは思わぬ展開に。後半じわじわと西武を追い詰めた近鉄は10月19日にロッテとの最終ダブルヘッダーに連勝すれば西武を捉えて逆転優勝というところまできた。
ダブルヘッダー第1試合は8回に同点に追いつき9回に逆転という劇的な試合で2試合目につなげた。

続く2試合目は7回終わって3-3の同点。8回に主砲ブライアントがホームラン!ついに逆転。ところが阿波野が8回裏に同点ホームランを打たれ試合は再び振り出しに。9回裏のロッテの攻撃は牽制球アウトを巡り、ロッテ有藤監督が嫌がらせのような時間をかけた激しい抗議。これが9分間もかかってしまい延長戦の試合規定の4時間にせまり延長は10回までで打ち切り。結局延長10回4-4引き分けとなり西武のV4が決定。近鉄は西武とゲーム差なしの2位でシーズンを終える。

この有藤監督の抗議は後々も物議をかもす。近鉄の中西コーチは『守備妨害でもセーフでもいいから、とにかく試合を再開しよう』と言ったのは有名な話。

『神様・仏様・ブライアント様』『奇跡の4連発』はプロ野球の伝説の1つ

前年悔しい形で優勝を逃した近鉄。1989年も西武、近鉄、オリックスの3チームによってペナントレースは最後までもつれた。
10月12日、近鉄は西武とのダブルヘッダーが組まれた。近鉄が優勝するには、まずこの西武に連勝しないと可能性がほぼなくなるという大事な試合。

そしてここでもブライアント!
1試合目の4回に46号ホームラン!そして1-5で迎えた6回無死満塁の最高の場面でなんと同点満塁ホームラン!そして8回、5-5の場面で三たびブライアントに打順がまわってきた。ここで西武はエース渡辺久信を投入。ブライアントは打った瞬間ホームランとわかる3打席連続の48号ホームラン!第1試合目を6-5で近鉄が先取した。

2試合目もブライアントのこの日4本目となるシーズン49号ホームランで逆転。打線に火がついた近鉄が14-4で圧勝。ペナントも制した。

とにかくこのダブルヘッダーはブライアント劇場だった。

子どものころ、最初にすごいと思った外国人マニエル

もともとはヤクルトにいた選手。来日2年目に42本97打点.316の活躍を見せる。3年目も39本103打点.312とヤクルト初のリーグ優勝、日本一に貢献するが当時の監督広岡は打つだけのマニエルが気に入らなかったらしく放出する。

近鉄に移ってからも大活躍をする。デッドボールを顎に受け医者から全治2ヶ月と診断されるが、14試合休んだだけでアメフトのヘルメットのようなものを被って試合に出た。近鉄在籍の'79'80の2年間は37本94打点.324、48本129打点.325ととにかく打ちまくった。2年連続ホームラン王、'80は打点王との2冠を獲得。打率はロッテ、リーの.358には及ばず3冠王は獲れなかったものの、当時の助っ人外国人ではずば抜けた存在だったことは間違いない。

タフィー・ローズもすごかった!

まぁとにかく打ったという印象。そして何度退場になったんだと思うくらい怒りっぽい。。。ヘルメットのかぶり方も独特で前が見えるのかと思うくらい深く被っていた。小さめのヘルメットをちょこんと乗せていたようなオマリーとは正反対^^

元々シュアなバッティングというイメージだったがいつの間にか?豪快なホームランバッターになっていた気がする。両リーグでホームラン王のタイトルを獲っている。プロ野球13年で464本塁打、1269打点は文句なし。

近鉄最強助っ人外国人は、、、

子どものころ衝撃を受けたマニエル、年間55本のホームランを打ったタフィー・ローズもNo.1レベルだろうが、やはりブライアントだろう。

ブライアントはファンを魅了する選手だった。今でも伝説の1989年の『奇跡の4連発』や東京ドームの天井弾、スピーカー直撃は推定160メートルと言われている。

三振もブライアントの魅力の1つ。年間204個はプロ野球記録だ。おそらく当分抜かれることはないだろう。。次は何をやってくれるんだろうというワクワク感がブライアントにはあった。そういう選手はなかなかいない。

『奇跡の4連発』ラルフ・ブライアント

これでようやく各球団のNo.1が揃う!

阪神から始まった『助っ人外国人No.1を決める!』
最初に阪神を紹介してから、もうすぐ3ヶ月がたってしまいます。。

ずいぶんとダラダラになってしまいました^^;
次回は最終回プロ野球助っ人外国人歴代No.1を決めます!

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つづく

■プロ野球
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_______________________________________○『かっとばせ!野球部!』 ~We Love 野球!
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