日本に戦争をしてほしい人など、何人いるのだろうか。

驚きました。ついに言葉狩りまで始まっていたとは。

最初の印象、それは「まさか!」以外にのなにものでもなかった。書かれている内容を疑いたいという思いの方が大きかった。

「福島みずほのどきどき日記」が引用されたBLOGを引用させていただきます。

4月19日(日)「戦争法案」という言葉に修正を求められました!

4月1日に参議院予算委員会で安倍首相に質問しました。「安倍内閣は14本から18本の戦争法案を出す」と述べ、それに関連する質問をしました。安倍首相が「レッテルを貼って、議論を矮小化して行く事は断じて甘受できない」と反論をしました。私は、「戦争ができるようになる法案だ」と指摘しました。

質問が終わった時点で、委員長が、「不適切と認められるような言辞があったように思われる。理事会で速記録を調査の上、適当な措置を取る」と述べました。「不適切」と言う意味がわからず、一体何が不適切なのかと思いました。その後、「戦争法案」と言う言葉が不適切と認められるような言辞だと聞きました。また、少し経って、同じ日の質問で使った「鉄面皮」という言葉も不適切と認められるような言辞であると委員長が理解していると聞かされました。

4月17日(金)、自民党の議員が面談に来られて、「戦争法案」と言う言葉と「鉄面皮」という言葉についての修正要求がありました。「戦争法案」を、「戦争関連法案」あるいは「戦争につながる法」と修正できないかということでした。私は、理由を述べ、修正に応じないと答え、若干議論をしました。

戦争法案という言葉は、これまで国会内の会議で24件使われています。鉄面皮と言う言葉も50件ほど使われています。今年の2月3日、参議院の予算委員会で、私は、「戦争法案」と言う言葉を使い、また3月4日参議院憲法審査会でも「戦争法案」を使っています。そしてその時は何も問題にされず、もちろん議事録として正式にアップをされています。したがって、なぜ、この段階になって、4月1日の予算委員会での発言を修正したうえで、議事録を作らなければならないのでしょうか、全く理解ができません。

1999年の周辺事態法案の審議では、共産党議員が、周辺事態法案を戦争法案法案と批判をしました。当時の小渕首相は、「御党から言えば、戦争法案と言うことであると思うが」と答弁をしています。修正や削除の要求はされていません。

戦争法案と言う言葉が、国会で使われ続けてきているにもかかわらずなぜそれを変えなければならないのでしょうか。また、すでに、他の委員会や、予算委員会で、戦争法案と出ているのに、なぜ4月1日の分だけ修正しなければならないのでしょうか。そもそも過去の分は残して、なぜこれからアップする記事録だけ修正しようと言うのでしょうか。

また、戦争法案と言う言葉を修正するという事は、これから、国会において、戦争法案と言う言葉を使えなくなってしまいます。これは全く変であり、事実上の言葉狩りではないでしょうか。

そもそも、ある法案をどう見るかということが、政治の思想信条に基づく極めて重要な点です。戦争法案と位置づけ批判をしたり、議論したりすることが大変重要です。

なぜ、野党の議員が与党から、法案の位置づけや呼び方についてまで、指図を受けなければなないのでしょうか。

引用元:「戦争法案」という言葉に修正要求が!!

これまで何度も国会で使われてきた「戦争法案」という発言を、議事録から削除しようとするのはどういう意味だろう。

削除したいというのは、都合が悪い言葉だからだ。

安全保障関連法案を「戦争法案だ」と述べたことが都合が悪いのだとすると、どこがどのように都合が悪いというのか。都合が悪い点について議論をすればいい話なのに、議事録からの削除を求める。

これ、話し合いの放棄です。国会が議論の場として成り立たないということです。

議事録から都合の悪い言葉を削除して、つまり、政権側にとって都合のいい話し合いの記録を残して、粛々と進めるつもりなのか。

何を粛々と進めるかというと、それは当然、政権が都合が悪く感じていること。戦争法案にほかならない。

ちょっとした言葉の問題などではない。政権の意図するところが明確に見える出来事だ。

この国に戦争ができる国になってほしいと思う人がどれくらいいるというのか。