プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その7】

『人気のセ、実力のパ』なんて言われてたっけ、、、
確かにパ・リーグは人気がなかった気がする。

だからって実力のパってのはどうなんだろう。。
当の選手たちはどう思ってたんだろうなぁ~


1980年以降、35回のペナントレースで12球団で勝率5割を超えているチームはわずか3チーム。
その中の1チーム、西武ライオンズはジャイアンツの.560に次ぐ2位の勝率.555。

広岡監督からチームを引き継いだ森祇晶監督は徹底した管理野球で9年の監督生活でリーグ優勝8回、日本一6回と西武黄金時代を作り上げた。

しかしながらこのチームも助っ人外国人には恵まれていない。
恵まれては いないのだが、あまりにも強烈なインパクトで西武ファンの心に残っている2人の助っ人外国人がいる。

この2人はもはや伝説

オレステス・デストラーデとアレックス・カブレラだ。

'89~'92' 95 オレステス・デストラーデ 【ホームラン王 '90 '91 '92 打点王 '90 '91】

西武黄金時代を支えた助っ人外国人。もしもこの男がいなかったら無冠の帝王と呼ばれた清原もタイトルの1つも獲れたんじゃないかと思う。
助っ人外国人の3年連続のホームラン王はデストラーデが初でその後もウラディミール・バレンティンしかいないんだからすごいね。
ホームランを打った後のちょっと変わったガッツポーズがかっこよかった。

そしてもう1人、アレックス・カブレラがこれまたすごかった。

'01~'07 アレックス・カブレラ 【ホームラン王 '02 打点王 '06】

357本塁打はタフィ・ローズ、アレックス・ラミレスに次ぐ歴代3位。
150号、200号、250号、300号、350号はプロ野球最速記録を持っている。
100号はブライアントに1試合及ばないだけのもので350号は落合博満よりも88試合も早いものだった。

┌──┬────┬────┬──────┐
│ 本 │カブレラ│これまで│ │
├──┼────┼────┼──────┤
│100│ 247 │ 246 │ブライアント│
├──┼────┼────┼──────┤
│150│ 380 │ 424 │ブライアント│
├──┼────┼────┼──────┤
│200│ 538 │ 578 │ブライアント│
├──┼────┼────┼──────┤
│250│ 733 │ 733 │ブライアント│
├──┼────┼────┼──────┤
│300│ 934 │ 1072 │田淵幸一 │
├──┼────┼────┼──────┤
│350│ 1169 │ 1257 │落合博満 │
└──┴────┴────┴──────┘
数字を見るといかにカブレラがすごかったかわかる。

バッターボックスで構える前に上体を反らす仕草が独特でよく真似をしたものだ。
外国人パワーバッターにつきもののステロイド疑惑があったのは残念だが実際のところはわからない。

アレックス・カブレラ

matome.naver.jp

最後に郭泰源。
1985年、デビューしていきなりノーヒットノーランをやってのける。
それから1997まで13年間、西武一筋で117個の勝ち星を積みあげる。117の勝ちに対して68しか負けがないのもすばらしい。彼はとにかく負けないピッチャーだった。
ものすごい助っ人外国人という印象はないが西武黄金時代を支えた外国人だろう。

でもやはりライオンズはデストラーデとカブレラがダントツか。
どちらも甲乙つけがたい。数字的にはカブレラなのかもしれない。どちらも好きだったがほんの少しの差でオレステス・デストラーデの勝ち!

『カリブの怪人』デストラーデ

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つづく

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