プロ野球歴代助っ人外国人No.1を決める!【その4】

野球に興味をもち、プロ野球を真剣に見るようになったのは1980年。

1980年から2014年までの35回のペナントレースでリーグ優勝7回、Aクラス22回、勝率.522。勝率.522は12球団の中で第3位。

ちなみにこの35年で勝率5割を超えているチームは12球団で3チームしかないんです。

どこの球団かわかりますか?


中日ドラゴンズです。
えっ?中日ってそんなに勝ってたんだ!というのが素直な感想。

そう、中日は実に堅実なチームなんです。目立たず勝つ。そんな感じですかね。

地味だけど活躍した中日の外国人

では助っ人外国人はというと、、、
こちらも目立った選手はいないような気がするが、いろいろと思い返してみてまず浮かんだのが 、

アロンゾ・パウエル
'92~'97の6年間ドラゴンズに在籍。'94'95'96と3年連続首位打者!
3年連続首位打者ってすごくないですか!?
なにせ過去に長嶋、張本、落合、イチローしかやってないんです!

'96はさらに最多安打のタイトルも獲っているんだから大したもんです。
でもなんかあんまり目立ってない気がするのは自分だけかなぁ。。。

では韓国からの助っ人宣銅烈(ソンドンヨル)はどうだろう。
顔がまんまるだからアンパンマンとか呼ばれてたっけ。
'97にセーブ王のタイトルを獲ってはいるものの目立った記録は残していない。
ただ球は速かったのを覚えている。記録よりも記憶に残る選手ってとこでしょうか。

郭源治は中日一筋16年!

台湾の郭源治はもっともドラゴンズに長く在籍し た助っ人外国人。
'81に来日して16年もの間、日本のプロ野球でプレーした。

'87'88と2年連続のセーブ王に輝いた。'88は2位ジャイアンツに12ゲーム差をつけて星野監督のリーグ初優勝に大きく貢献するが日本シリーズで西武に敗れる。星野監督をなんとしても日本一にしたいという思いから郭源治は自分が外国人枠から外れることがチームの強化につながると考え、帰化すること決意した。

プロ14年目に防御率のタイトルを手にするが星野監督を日本一にするという夢はとうとう叶うことなく引退する。
気合いあふれる投球は印象的でした。中日一筋で106勝116セーブ。すごいですね!

気合十分!

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今の中日のユニフォームは紺色だが、昔はきれいな青のユニフォームだった。

帽子のマークも『D』では なく中日の『C』とドラゴンズの『D』を組み合わせたマークだった。

ブルーのユニフォームを着た助っ人外国人といえばケン・モッカしかいないだろう。

あんまりうまくない守備とやたら強い肩。多少ポロポロしても一塁にものすごい球を投げる。サードのモッカとショートの宇野で毎年50個くらいエラーをするからピッチャーも大変だったろう。

当時外国人のサードも珍しかったからかなあ。

戦力外通告を受けたのにもかかわらず、引退試合で花束を渡され選手から胴上げされる。チームからもファンからも本当に愛されていた助っ人外国人だった。

個人的にパウエルよりも宣銅烈も郭源治よりも誰からも愛されたケン・モッカを中日最強助っ人外国人としたい。

ちなみに、近鉄ラルフ・ブライアントが中日の2軍にいたのをご存じだろうか、、、

つづく

■プロ野球
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