1945年1月27日、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所が解放された。そのことを記念して1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」
ナチス、ジェノサイドへの道 "The Path to Nazi Genocide"
米国ホロコースト記念博物館( http://www.ushmm.org/ )の協力もと、同博物館制作のドキュメンタリー「ナチス、ジェノサイドへの道」("The Path to Nazi Genocide")に、国連広報センターが日本語字幕を付けた作品です。ホロコーストに至る20世紀の歴史、なぜナチス・ドイツが台頭し、ユダヤ人など多くの人々の大量殺戮に走ったのか、そして世界はその残忍な悲劇をどのように受け止めたのか。克明に描き出されています。
70年前の1月27日、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が解放されました。そのことをもって、この日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」に定められています。しかし、この日はたくさんの強制収容所のうちの1カ所が解放された日でしかなく、その後もユダヤ人、ロマ人、シンティ人、同性愛者、反体制派、捕虜、障害者など多くの人々の虐殺は続きました。
アウシュビッツを解放した時、そこで兵士たちが目にしたのは、解放という言葉が想起させるような明るいイメージとは正反対のこの世の地獄でした。なぜなら、一般的にアウシュビッツは強制収容所と呼ばれていますが、実際には収容者を虐殺する目的で造られた「絶滅収容所」だったからです。まるで工場のように機械的に人間を殺害していくために設計され、運営されてきた施設だったのです。
絶滅収容所の中で行われてきたのは、人が為しうる限り最も残酷な行為というべきものです。機会があればぜひポーランド国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ・ビルケナウ博物館)で遺品や写真や資料を直接ご覧ください。
国内にも貴重な遺品を見ることができる場所があります。白河市にあるアウシュビッツ平和博物館は、オシフィエンチム博物館から借り受けた犠牲者の遺品と記録写真を、10年に渡り市民の手で巡回展示を行った後、アウシュヴィッツ関連資料の常設展示館としてオープンした施設です。古い民家を利用した博物館には、アウシュビッツの遺品、写真、資料、そして危機的状況の中、命がけで他者を救い出したレスキュアーズたちの記録、さらに「アンネの日記」などが展示されています。
アウシュビッツや、それに先立ってやはりソ連の手で解放されたマイダネク強制収容所についてのソ連軍の報告は、西側諸国の人たちに受け入れられなかった、信じられることがなかったと伝えられています。冒頭の動画の字幕は次のように記しています。
――ソ連軍のポーランド進軍で、最初に解放されたのがマイダネクとアウシュビッツの収容所。1944年夏のマイダネク解放の第一報は信じられないという人が多かった。「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙は「裏付けを待つ必要がありそうだ。ありえないことのように思える」と報じた。
しかし、虐殺は事実でした。ビデオはエンディングで次のように訴えます。この言葉は、人類の無意識の底にある地獄にまでつながっているのではと思えるほど深いものです。
――ホロコーストによって、人類とその未来への展望が一気に暗転した。何が起きたのかを世界が理解しようとする中で、「ジェノサイド」という新しい言葉が必要となった。私たちと同じような社会で、普通の人々が犯した罪を指し示すために。
平和を謳歌する世紀として幕を開いたはずだった20世紀。そこで人類は、人間のもつあまりにも深い闇に直面することになりました。しかもそれは、狂気に突き動かされた一部の特異な人々の手によって行われたのではなく、普通の人々が犯した罪だったのです。
ジェノサイド。その闇と向かい合うことなしに平和を求めることはできないのかもしれません。だからこそ、「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」に定められたような特別な日には考えたいと思うのです。もしも、犠牲者の遺品という「実物」を目にする機会があれば、ぜひその機会を逃さないでほしいのです。
1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」です。これは歴史の中の物語などではなく、現代を生きる私たちの目の前にある問題です。
歴史の中の1月27日
▼1868年 鳥羽・伏見の戦いが勃発(慶応4年1月3日)
前年1867年11月9日に徳川慶喜は「大政奉還」によって政権を朝廷に返上したが、徳川家はなおも最大級の武士集団として新政府にも参画する可能性を残していた。幕府勢力の一掃を図る薩摩藩は江戸で騒乱を繰り返す倒幕派浪士を匿うなど、幕府方への挑発行動を繰り返す。これに痺れを切らした幕府方は、ついに慶喜上京のためとの口実で薩摩を討つべく京都に向けて進軍を開始する。
新政府側の3倍に達する大勢力だったものの、幕府軍は緒戦に敗れる。もともと出兵に乗り気でなかったと言われる慶喜は大坂城に退却、3日後には最新鋭の軍艦・開陽丸に乗って江戸に退却してしまう。
総大将を失った幕府軍は総崩れとなり、一方、薩長側はこの機に乗じて朝廷工作を進め、慶喜追討令を発することに成功。その結果、旧幕府に味方する者は朝敵ということになった。歯車は大きく動いた。戊辰戦争の始まりと位置付けられる鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府勢力の排除を目論んだ薩長中心の明治維新、というその後の歴史の流れを決定づけた。
▼1939年 米国の双発戦闘機XP-38が初飛行に成功
ゴンドラ状のコクピット部分を左右から2つの胴体で挟んだ特異な形状の戦闘機「ロッキードP-38ライトニング」の原型機XP-38が初飛行する。
P-38は、当時米国が開発していた超大型爆撃機と同等の爆撃機を、敵国が保有した際の迎撃用に計画された戦闘機で、高出力を発揮するために2基のエンジンを備えた大型単座戦闘機として完成した。その性能は設計時の想定をはるかに上回るもので、第二次世界大戦では高速戦闘機として活躍。連合艦隊司令長官・山元五十六大将が乗った一式陸攻を撃墜したのもこの飛行機だった。大戦後期にはロケット弾や爆弾を搭載した戦闘爆撃機としても使われた。
「星の王子様」の作者サン・テグジュペリが地中海戦線で行方不明となった時に乗っていたのもP-38の偵察機タイプだったという。機体の残骸が地中海で発見された後、作家の乗機を撃墜したというメッサーシュミットの搭乗員も現れた。
▼1945年 アウシュヴィッツ強制収容所がソ連軍により解放される
▼1951年 ネバダ核実験場で初の核実験
ラスベガスの北西約105kmのネバダ砂漠に新設された核実験場で初めてとなる核実験が行われた。米国が実施した核実験の約9割がこの実験場で行われており、その数は900回を超えるとされる。ネバダ砂漠は、しばしばハリウッド映画のロケに使われていたことから、映画関係者の被曝を指摘する声も根強い。
▼1967年 アポロ1号が炎上、宇宙飛行士3名が死亡
2月の発射が予定されていたアポロ1号の試験訓練中、宇宙飛行士が搭乗する司令船で火災が発生して全員が死亡した。船内に大量の可燃物があったこと、脱出装置の設計上のミスなど、事故前から多くの不備が指摘されていたという。
しかし、この事故からわずか2年半後の1969年7月20日には、アポロ11号の2人のクルーが月面に立つことに成功している。
▼1973年 ベトナム和平パリ協定で、正式にベトナム戦争が終結
北ベトナム、南ベトナム、南ベトナム共和国臨時革命政府(戦争中の南ベトナムに立てられた地下政府)、米国の間で平和協定が結ばれる。しかし、その後もベトナムでの戦乱は収まらず、1975年に北ベトナムはサイゴン(当時の南ベトナムの首都:現在のホーチミン市)を占領、1976年に南北ベトナムは統一される。
この日が誕生日
◆1756年 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
◆1827年 河井継之助(文政10年1月1日)
越後長岡藩牧野家の家臣。戊辰戦争では長岡藩家老に就任し、軍事総督を務める。新政府との間での武力中立の道を模索するが決裂。戊辰戦争でも最大の激戦といわれる北越戦争では新政府軍を苦しめるものの敗戦、自身も戦死した。
◆1827年 ジョン万次郎(文政10年1月1日)
土佐出身の漁師。遭難した後に米国の捕鯨船に救出されアメリカで暮らし、後に通訳として日米和親条約の締結に活躍した。本名は中濱萬次郎。
◆1832年 ルイス・キャロル
イギリスの数学者、写真家、作家。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。ルイス・キャロルはペンネーム。「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」など。
◆1848年 東郷平八郎(弘化4年12月22日)
薩摩出身の日本帝国海軍軍人。第3代・第4代連合艦隊司令長官として日清戦争・日露戦争を戦う。日本海海戦でバルチック艦隊を破った。「東洋のネルソン」とも呼ばれる。
◆1885年 前田青邨
岐阜県中津川出身の日本画家。鮮やかな色彩と構図で躍動する人物像を描く歴史画など、多くの作品を残した。
◆1962年 金賢姫(キム・ヒョンヒ)
北朝鮮の元工作員として、大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した。死刑判決を受けるが特赦された。
この日亡くなった人たち
・1901年 ジュゼッペ・ヴェルディ
「椿姫」、「アイーダ」などのオペラを作ったイタリアの作曲家。
・1945年 野口雨情
「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「雨降りお月さん」など、今日にも歌い継がれる数々の名作を残した詩人、童謡作詞者。
・1967年 ガス・グリソム
米国で2番目の有人宇宙飛行経験者。この日発生したアポロ1号火災事故で死亡した。
・2010年 ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー
「ライ麦畑でつかまえて」「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」などで知られる米国の小説家。「ライ麦畑…」は今日も売れ続けるロングセラー。