岩沼みんなの家は「みんなの家」なのである

昔からの町並と震災後に家が建ち始めた新しい町のすぐ近くにある。
お散歩コースでお喋りの場所で、こどもたちの溜まり場である。
みんなの家である。

中に入ると農産物の直売コーナーがある。かまどがある。
そして大きなプロジェクターや自由に使えるiPadがある。
みんなの家である。

野菜も加工品も人気があって、お目当てのお得意さんが買いに来る。
残念! 売り切れって時にも、ちょっと楽しんでいける。
みんなの家である。

プリツカー賞受賞の世界的建築家、伊東豊雄さんたちのプロジェクトだ。
IT企業インフォコムの継続的な支援の形の結晶である。
インフォコムからの常駐スタッフさんがいる。昔からの町の人、新しい住民の人がやってくる。学校帰りの小学生がやってきてゲームしたり、宿題やったり、外で遊んだりしていく。岩沼市の農業復興支援のベースで、農業体験や餅つき、バーベキューといったイベントの発信地でもある。

とにかく多彩なプロジェクトが同時進行で走っている岩沼みんなの家 by infocom。
話題がいっぱいだ。

東京からのお客さんに熱く語る「がんばッと!!玉浦」の谷地沼富勝さん

岩沼市の東側、海に近いエリアが玉浦地区なんですが、ここは人的被害が比較的少なかったんです。なんでかって言うと、海辺の集落を町の消防団の人たちが回って、避難しようとしない人たちを、それこそ首根っこつかまえて避難させたからなんです。津波の直前まで住民への避難呼びかけを続けていたんで、消防団からは死者が出てしまいましたが。

兄貴分として慕っていた先輩も消防団員として亡くなりました。死んではいけない人だったんです。なんで死んでしまったのかと、何度も繰り返し思い続けました。自分がこんな風に、東京から来た人たちを案内したり、遠方に講演に呼ばれたり、そんなことをしていていいんだろうかと思うこともある。

岩沼みんなの家の運営を協力している地元のNPO「がんばッと!!玉浦」の理事、谷地沼富勝さんは、ある日そう言った。ナイスガイの代表選手のような谷地沼さんがそんな話をしてくれた。

みんなの家には今日もみんなが訪ねてくる。
散歩がてらやってくる人。買い物にくる人。放課後のお決まりコースになってる小中学生たち。遠くから「みんなの家を見ること」を目的にやってくる人。
ずっと昔からの集落に住めなくなった人。これからの玉浦、どうやっていこうかと考えている人。

顔には出さなくても、みんないろいろな気持ちを抱いている。
復興が一番進んでいると言われることもある岩沼だけど「復興ってなんだろう?」


みんなが、やってくるということが、とても大切なことなのだと教えてくれる場所。

岩沼みんなの家は「みんなの家」なのである。