春の盛りの頃のこと。宮城県の沿岸部にある仮設住宅の集会場にお邪魔したら、色とりどりのチューリップやパンジーが咲き誇っていた。
こんなにカラフルなチーリップがあるなんて知らなかった。八重咲きのチューリップを見たのも初めてだ。
「きれいに咲いているでしょう」
咲く花に見惚れていたら、“ 妙齢 ”の女性たち2人が話しかけてくれた。仮設住宅で花開くのが3度目のものもあること。花が終わった後にはどんな花だったか分からなくなるから、ちゃんと覚えておいて球根の仕分けなどの作業をしてきたこと。花があることでこの場所に人が集まってきたり、通りがかりに花の話をしたりできること。
「花っていいよね」
どうやら仮設住宅の世話役らしい彼女たちは、手塩にかけた花自慢を語ってくれる。だけどこんなことも言うのだ。
「プランターでもこうして綺麗に咲いてくれるけど、本当は地に植えた方がもっと元気に育つんだろうけどね」
それじゃあ地面に花壇を作ったら、なんて思わないでくださいね。仮設住宅だから場所がないということもあるだろう。日当たりに合わせてプランターを移動できるというメリットもきっとある。「プランターの場所をアレンジしたら見た目も楽しめるしね」なんてことも言う。でもなぜか、どこか言い訳のように聞こえるのだ。あまり言いたくない理由がある感じ。
2人のうちの1人が集会所の中に入って行った時、残った人が小声で言った。
「仮設住宅を出ていく時に、球根やプランターを分けて新居に持って行ってほしいと思ってるのよ」
仮設住宅に住んでいる人たちは、津波で住む場所を失って、最初は避難所に入った。最初のうちは段ボールの仕切すらない、プライベートなどまったくない環境で何カ月も過ごした。それでも避難所で生活していく中で、元々の地域とは違う場所の人たちとも知り合ったり、仲良くなったりすることもあった。
避難所暮らしは数カ月で終わり、仮設住宅やみなし仮設に移ることになった。その時、避難所生活で育まれたコミュニティがばらばらになった。仮設に移った直後には、避難所は不便だったけど知り合いが多くてまだマシだったという声もあちこちで聞かれた。そんな仮設住宅も3年目。もうしばらくすると災害公営住宅など「仮設」ではない住居への引っ越しが始まる。また友だちと離れなければならなくなる。またコミュニティがばらばらになる。
「仮設を出られるのはいいことなんだけど、うれしいばかりじゃないのよ」
仮設住宅から新居に移る門出に、球根やプランターをプレゼントする。そのこと自体はすてきな話だ。でもそれは別れのプレゼント。新居に引っ越した後、高齢の方が昔のお茶っこ仲間にわざわざ会いに行くのは難しいかもしれない。
衣食住という言葉がある。だが、もちろん人間はその3つだけで生きてゆけるものではない。生きがい、仕事、友だち、他人から必要とされること……。言い方はいろいろあるけれど、人との関わりがなければ生きていくのも苦しい。誰かが必要なのだ。たとえそれが喧嘩友だちであったとしても。
仮設から新居に引っ越せて良かったね――。これからきっとそんなニュースが増えていくことだろう。そんな映像や記事に接した時には、チューリップの球根がこれからどこで咲くことになるか、思い浮かべてみてほしいと思うのだ。
写真と文●井上良太