初めての姉妹会は東北で!

◇ エルファロ → ひわらび食堂

昼も食べずに動きまわっていたのでおなかがペコペコ。店主さんは「ここでしか食べれないものを食べろ~」と言って、自家製ホヤキムチ、カラスミ、くじらのお刺身。そして特製餃子。三女マリンは温かい食べ物を食べたいとリクエストで冷やしそばを温かいおそばにかえて出していただいた。

震災当日は港の市場でお祭りの予定がありお好み焼きを販売するための準備がしてあったので食べ物には困らなかった。非常食として小麦粉2,3袋を用意しておけばなんとかなるからとアドバイスをいただいた。

子どもたちのコミュニティ。駄菓子屋まがりかどさん

◇ エルファロ → 駄菓子屋 まがりかど

子どもたちのお土産に駄菓子のセット(200円)をふたつ購入。長女と三女は懐かしい懐かしいと自分へのおみやげ購入。家族旅行で訪れたのは去年のゴールデンウィークだが、店主さん私のこと覚えていてくれていた。店主さんのお母さんはあいにく留守だったがお母さんもお子さんもお元気とのこと。

よかった、また着まーす!とお店を出てレンタカーで大川小学校をナビに登録していたらお父さんがひょっこり登場!「久しぶり、元気だったか~?娘に会ったか?大川小学校は雄勝通って行くと早いから、トンネルのとこさ間違えなければ45分くらいでつくからな。気をつけてな。」お父さんも覚えていてくれた。うれしいな。

◇ 駄菓子屋 まがりかど → 大川小学校
長女、三女は初めての大川小学校。子供を持つ親として話し合った。どうしてあんなにたくさんの子供たちがいのちを落とすことになってしまったのか。あの裏山には登れなかったのか。どうやって避難したら子供たちのいのちを守ることができたのか。他人ごとではない、あの日が終わったわけではない。

この場所で空に逝ったたくさんの小さないのちをつなぐために、悲しみを背負ったまま生きるご家族のためにも、私たちの子供たちだけではなく、生きているすべての子供たちのいのちを失わないための取り組みをはじめようと決意した。

長女より

ここに自分が住んでいたとしたら自分はどんな行動をしただろうか。家族はどうなのだろうか。回りの人々はどうだろう。どうやったら逃げることができただろうか。最悪の事態を自分の力でどれだけ防げるだろうか。被災地訪問中色々な場所を見るたびにそんなことを考えました。

自分の住んでいる地域も震災直後は計画停電もあったり店の品物が少なくなったりしました。東北に住んでいる友人の安否がわからなくて不安になったりもしました。そんなあの当時の緊張感を今までも思い返せますが時間が経つにつれ、平和な毎日に埋れていってしまっている感じがしていました。

今回直接被災地を自分の目で見て現地の方のお話を聞くと言うことで新たに衝撃を受けたり違う視点も生まれました。防災について色んな面から考えて対策を実行して行かなければならないと感じました。

でもまた時が経つにつれ、そんな意識も薄らいでいってしまうかもしれません。

どんな事があったか、人々がそういう場面でどんな行動を取ったのか、そしてその結果どうなったのか、そして現在少しずつ復興していく中色んな想いを抱えて生きているたくさんの人がいる。

震災は過去の事でも災害はいつ自分の身に起きるかわからない。
過去から学ぶことができること、対策できることは何か身近な人達と考える。そういう機会を作っていくことにより記憶を風化させないようにできたらと良いなと思います。

次女より

今回出会った人たちの言葉はとても深くて辛い話もあった。なにかしたい。今は聞くことしかできない。じゃあどうするのか。

生きているのが辛くて、人と話すことができなくって、家から出たくない誰にも会いたくないと思ってしまうこと、自分を責めて悩んでいる、死にたいと思ってしまう、その人の心に心を重ねるアプローチをしたい。

一緒にいよう、一緒に考えよう、わたしはあなたが大切だということ、いつか地球の同じ土に帰るのだから、その先もあるのだから、心と心をかよわせよう。私はそんなおせっかいおばさんのプロになる。そのためにやることを決めた。

・「うまれて来てくれてありがとう」を学ぶ
・日々失われている世界中のいのちを一人でも救うためのアクションをする
・東北に毎年足を運び「いのちの授業」を継続して行う

三姉妹で東北に行けてよかった。失われたいのちの場所、ここはいのちの大切さを教える場所だ。いのちのことをたくさん考える場所。それは「いのちの授業」だと思う。

いのちの授業で学んだことは、こどもたちへ、世界へ、つなげていく。

三女より

東北被災地 宮城を旅して

初日、晴れ渡る青空の早朝、旅は始まりました。地元を離れ三姉妹で旅行に行くこと自体が初めての試みでしたので、子供の様にワクワクした気持ちも不謹慎かもしれませんがありました。

宮城県の何処に立ち寄ったかは、姉のレポートで一目瞭然ですので、私が旅をして何を感じたか、この先どうしていきたいかを短くまとめて綴らせていただきます。

2011年の東北大震災から早3年、震災後なかなか被災地に私は足を運ぶ事が出来ませんでした。何故なら、被災間もないその惨状を目の当たりにする勇気が無かったからです。ですが、今回この旅の企画を姉から聞き、今なら行けると思い、参加するに至りました。

この旅を通じ、私が強く感じたことは天災は私達から全てを奪い、人知の及ばない恐ろしいものだという事。更にその復興も然り、まずは被災された方々、日本政府を筆頭に有識者たちや工事関係者、ボランティアの方々など復興に携わる多種多様な方々の地道な努力が続けられていますが、3年経った今尚、それは被災の爪跡をまじまじと見せつけるものでした。

被災し命を失った方、遺族の方々、被災者の皆様にはとても一言では言いあらわせない思いでいっぱいで、私は立ち寄った様々な場所で手を合わせ、亡くなった方々の鎮魂と、御存命の被災者の方々の気持ちが一日も早く救われる日がくる事を祈るばかりでした。

しかし、そんな私達にもなにか被災者の方々のお役に立てることが出来るはずです。震災の記録、記憶を決して風化させない事、私自身が体験した今回の旅で見た事、感じた事を色々な方々に語る事、本当に微力ながら実行していきたいと思いました。

言葉は言霊と言います。言葉には魂が宿り、相手の心に必ず響いていくものだと私は信じています。

最後に・・・ありがとうございました!

三女マリンより。
今回の被災地訪問のチャンスを与えて下さった姉が勤務する会社代表の方、スタッフの皆様、きっかけを作ってくれた姉に心から感謝致します。有難うございました。乱文失礼致しました、最後までお読みいただきまして、有難うございました。

【費用合計】205,190 円
○ 宿泊
1泊目 26,000円 × 3名 = 78,000円
2泊目 15,500円 × 1室 = 15,500 円

○ 乗車券(駅レンタカー レール&レンタカー割引あり)
往復(3名) 78,780円

○ レンタカー
2泊3 日 32,910円 × 1台 = 32,910円