80歳を越すお年寄りが「こんなの経験したことない」と語るほどの今回の雪害。小山町須走地区に雪かきボランティアに入った2月18日、東北からはこんな情報が伝えられました。
石巻市牡鹿半島
山梨県豪雪災害で災害ボランティアセンターが立ち上がりました。
2.18午前に連絡が有り資材の搬入依頼が有り道路状況を確認只今、積込を行いドライバーの手配が出来次第、第一便出発いたします。
豪雪災害も広範囲かつ県をまたいでおりますが、各所できる限りのサポートをし石巻牡鹿より震災のお返しが少しでも出来ればと考えています。
被災地の方がたは、この過酷な雪災害を「他人事」とは思えなかったのです。いつボランティアセンターが立ち上がるのだろうと心配し、ボラセン立ち上げを確認するや連絡をとり、必要な資材を調達・積み込み、山梨まで運ぶ車のドライバーを手配。
フェイスブックに掲載されたスコップなどの資材の写真は、暗闇の中クルマのヘッドライトに照らしだされて、その場にいる人たちの緊迫感が伝わってくるようでした。
震災のお返しが少しでも出来れば
震災のお返しをしたい。お返しをしなければならない――。
その言葉、これまで何度伺ったことでしょう。東北で出会ったすべての方が同じことをおっしゃると断言してもいいほどです。
大川小学校のイルミネーション設置や、被災各地にソーラー照明を設置する活動をずっと続けてきた大船渡の新沼暁之さんと「311karats ☆ 緊急災害支援 ☆ チーム新沼」は、大雪で大変な被害を蒙った秋田県横手市エリアでの除雪ボランティアから、先週末一転して山梨県を目指しました。
第一陣として出動したのは新沼さんたった1人。秩父地方で救援活動を行い、道路網の開通を待って山梨県へ。311karatsの仲間たちも全国から参集して、今週末には20人規模の支援活動を行う予定になっています。
他人事じゃないんです。
東日本大震災の津波では、2波、3波と襲ってくる津波の合間をみて、助けられそうな人をとにかく高台に抱え上げて、また次の引き波の時に町に下りて行ってということを新沼さんは繰り返したそうです。さっきまで声がしていたのに、次の引き波で救助に行くと亡くなられていたということもあったと言います。
津波があった町では辛いこと、大変なこと、許せないこと、人のつながりを再確認できたこと、そして救助に入ってきた自衛隊や全国からの一般の人たちに対して、言い尽くせないほどの感謝。たくさんの、たくさんのこころを削ったり、こころに刻む経験をされたそうです。
他人事じゃないんです。
でもそれは、震災で特別な経験をしたからというだけではないと思うのです。
隣の人が困っていたら「大丈夫?」と声を掛け、手を伸ばすでしょう。当たり前のこととして。そのまた隣、さらにその隣の人が困っていたら?
この原稿を書いていたら、2月18日に会社としてのボランティア活動で小山町須走地区の除雪に一緒に入った、自分の会社の取締役がデスクの側にやってきて「明日、また行きましょう」とつぶやくように言いいました。
他人事じゃないんです。
弊社の上司のことながら感動しました。ふだん話す機会はそれほど多くはありませんでしたが、誇らしかったです。
前へ。
一歩前へ踏み出しましょう。
雪害ボランティア関連リンク
構成・文●井上良太
長野県中南信地域と山梨県の情報共有ページとして動いています