大槌町を流れていった1年という時間

上は2014年のお正月に大槌町の市街地で撮影した写真です。下は2012年10月にほぼ同じ場所で撮影した写真。新しく看板が立てられたほかは、変わったところを探す方が難しそうです。

上の写真の交差点を右に入った場所から見た左手斜面の様子です。斜面は墓地ですが、こちらもあまり変化が見られないようです。

かつて駅があった場所からも近い、大槌町の中心部の様子を撮影しました。

町の未来図が描かれた看板、破壊された大槌町役場、真新しい電柱や街灯ばかりが目立つ町の風景。

マスコミが報道する機会は減ってしまいましたが、大槌町の町の様子は、外見上ほとんど何も変わっていません。ニーズは変化していますが、いまでもボランティアさんの活動が欠かせません。

こちらは震災直後から活動を続けているカリタスジャパン(日本のカトリック教会における広義の社会福祉に関わる部門)の大槌ベース。壁画は「大槌アート日台共同プロジェクト」によるもの。入り口そばにずらっと並んだ長靴ホルダーが、この団体の経験値を物語っているように感じます。

ちょっとしたところに、人のやさしさを見つけてうれしくなることもあります。

同じ大槌町の赤浜地区でもそうでしたが、側溝の蓋(溝蓋)が新しいものに掛け替えられています。側溝の蓋は津波でその多くが流されました。ほかの土地と比較するわけではありませんが、蓋が流されただけでなく、溝が泥で埋まってしまい、そのまま放置されている場所もあります。その場所では大雨のたびに道路が冠水してクルマが通れなくなることもしばしばです。

側溝の溝蓋が掛け替えられているということは、溝に人やクルマが落ちないようにという配慮であるとともに、側溝が排水路として機能するように、中が泥かきされているということも意味しています。

建物がなくなった更地のように見える場所ですが、この場所には、大槌の復活にむけてのマンパワーがたしかに注がれているのです。

3年近くもの時間が経っても変わっていないこと。目立たないけれど確実に変わっていっていること。大槌の町に行って、いろいろな話を聞いてみたいと考えています。
(大槌町の話はまだまだ続きます)

写真と文●井上良太