「希望ののむヨーグルト」のバッティングセンター、ついにオープンへ!

希望ののむヨーグルトの物語をご存知ですか。それは津波でふたりだけ残された父子の約束の物語です。

気仙沼バッティングセンターの夢

河北新報では次のように伝えられました。「出典」をクリックしてもらうと、記事全文にリンクしています。

 気仙沼市の子どもたちのため、地元にないバッティングセンターを建てる-。千葉清英さん(42)は新たな夢の実現に向け、一歩を踏み出した。

 きっかけは、たわいのない親子の会話だった。高校時代、野球部のエースだった千葉さんの影響で、気仙沼市面瀬小5年の長男瑛太君(11)も野球少年になった。震災後、2人きりになった家族。仕事を終えた夕方、2人でキャッチボールするのが日課になった。

 ある日、気分転換にと奥州市のバッティングセンターに出掛けた。片道1時間半。「遠いね。気仙沼にも建てて」。瑛太君の言葉に、千葉さんは何げなく答えた。「分かった」

 その日はそれだけだったが、しばらくして瑛太君が尋ねた。「いつ建ててくれるの?」。本気で応えなきゃ、と千葉さんは心に決めた。

 開業には数千万円かかる見込みだ。オリジナル商品「希望の飲むヨーグルト」の売り上げの一部を資金として積み立てようと、鹿折地区の仮設商店街に構えた店で販売している。賛同者を募り、場所も探し始めた。

引用元:河北新報ニュース 第13部・あの人は(4)恩返し/親子の夢、地元のため 思い出を支えに前へ

バッティングセンターはただのスポーツ施設ではありません。

「僕はパパに連れてきてもらえるけど、みんなは野球ができない。きっときっと、みんなも野球やりたいだろうなぁ」
「バットを無心に振る息子、笑顔で野球をする息子」の姿。
「牛乳と、そして大好きな野球を通して」「気仙沼に笑顔を取り戻したい」との思い。

そこには、たくさんの意味が重ねあわされているのです。そして希望ののむヨーグルトには、父子の夢を自分たちの家の仕事で実現しようという決意が込められています。

支援者が集まってきました。仲間が増えて行きました。夢が少しずつ現実に近づこうとしています。2013年9月には工事も始まりました。気仙沼の町に初めて登場することになるバッティングセンターの名前も決まりました。

"気仙沼フェニックス"バッティングセンター

そして2014年3月16日、いよいよオープンです!

バッティングセンターの設立資金にするために作られた「希望ののむヨーグルト」。販売はいまも続いています。「希望ののむヨーグルト」で検索すると販売サイトが見つかりますよ。

ぼくは、このヨーグルト、大船渡の新沼暁之さんが東京で公演した時に、初めて口にしたけれど、濃厚なのに爽やかなおいしいヨーグルトでした。フルーツジュースで割ったり、カクテルにしても美味しかったですよ。ぜひぜひ!

文●井上良太