やっぱりグラウンドもソーラーだ!
大船渡にベースを置きながらも、東北沿岸部はもとより全国各地を駆けて、災害復旧や遺骨・遺品の捜索、そして街灯のない被災地でのソーラー照明設置といった活動を続ける熱い人、新沼暁之さん。
11月、震災でグラウンドには仮設住宅が建設され、練習の場所を失ったこども達のために、被災したグラウンドに灯をともすプロジェクトが走り始めた。絆311「グラウンドライトプロジェクト」――。
ソーラーによる照明で、野球の練習ができるほどの灯をともそうという、ハンパないプロジェクト。ついに完遂!
灯りがついた日の彼の言葉を引用します。ぐぐっときます。
11月26日
絆311
グラウンドライトプロジェクト。
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動き出した
絆プロジェクト三陸
✖️
311karats。
「グラウンドライトプロジェクト」
作業6日目。
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今日はとうとう灯りがついた。。
あいにくの空模様だったけど
何とか灯りを届けてきたよ。。
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グラウンドが
グチャグチャだから
まだ野球は出来ないけど
早く子供達に
野球をさせてあげたい。
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素直にそう思った。
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『顔も知らない子供達へ。
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おっさん達の出来る事は
これにておしまい。。
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まだまだ
本式のグラウンドの
灯りの明るさには
全然届かないけど
野球は出来る!
不憫と向きあってきた君達は
絶対に強いんだ。
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だから負けるなよ!
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こんな経験は
君達しか出来ないんだ。
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練習不足は確かにあった。
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だけど腐るなよ!
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人間の未来は
自分自身で無限に変わる。
人は無限だよ。
おっさんは
何処かで応援してるよ。』
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被災地には
まだまだ沢山の
不憫と向きあう子供達がいます。
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絆プロジェクト三陸
✖️
311karats。
「グラウンドライトプロジェクト」は
更に前に進みます。
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どんどん前に進みます。
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今回、このグラウンドへの設備には
約200万円かかりました。
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はっきり言って
被災している俺達には
相当辛いものがありました。
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家も建てなきゃなんねぇ
商売もしなくちゃいけねぇ
そんな俺達です。
貧乏で明日も見えねぇけど
最高に生きています。
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生きなきゃなんねぇけど
子供達から笑顔を
奪っちゃなんねぇ。。
言い方を変えると
200万円で子供達に笑顔が
戻りました。
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311はまだまだ終っていません。
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被災地に生きる
俺達もまだまだ戦います。
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これからも
協力宜しくお願いします!
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押忍!
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やるなら当然ソーラーだ。あの事故があった電力を使うことなく、太陽の光を受けて作った電気で、被災地の闇を照らしたい。真っ白く光り輝くくらいに真っ直ぐな気持ちだと、思う。しかし、
言うは易し。行うは難し。
新沼さんは、そして彼の仲間たち、兄弟たちは、それを笑顔でやってのける。FBやブログなどで彼らの表情を見てほしい。
見るだけでいい。それだけで、伝わるものが必ずある。
プロジェクトがはじまった時、記されていたのはこんな言葉だった。
11月10日
絆311
グラウンドライトプロジェクト。
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震災を受け
校庭に仮設住宅が建ち
野球場をも奪われた
子供達。。
被災したグラウンドを使い
練習してきた。
もちろん、灯りはない。
この冬場
日も短くなり
複数の小学校単位で
日わけして使ってきた
グラウンドも
すでに4時半にはボールを
使った練習は出来なくなる。。
親やコーチが持ち込んだ
自家用を使いライトを照らす。
もはや走る練習しかできない。
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不憫と戦ってきた
子供達にと
多くの支援者が
沢山のサプライズをしかけた。
喜びの反面
聞こえた声達は
「圧倒的練習不足」だった。
何より子供達が
一番感じていた。。
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あたり前に感じる
あなたの目の前にある
灯り。。
この子供達にはない。
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沢山…
…もう…沢山…
不憫を味わった。。
その背中をずっと見ていた。
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何かできないか?
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水面下で動いてきた。。
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中途半端に子供達の前で
口にできなかったから。
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だけど
みんなの協力があって
ここまでこれた。。
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「絆プロジェクト三陸」
「311karats。」
『グラウンドライトプロジェクト』
エンジン始動!
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被災した保護者にも
負担はかけない!
もちろん行政にも
負担はかけない!
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俺達にできる事。。
太陽を使って
子供達を照らす。
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「すげー明るい訳じゃねぇけど
これで少しは野球が出来る!
オイオイ。
ソーラーってすげーな!」
大作戦です。
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材料がガンガン
届いてきました!
もう少しです!
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待ってろ子供達!
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見てろ!
おっさん達の一歩を!
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みんなも引き続き
最強の支援お待ちしています!
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ひとりに1000円の支援を求めるのも、1000人から1円ずつ支援を集めるのも同じことだと、先週の「八重の桜」で勝先生が言っていた。「その通りだ」と思う。たくさんの仲間たちにこのことを知ってもらって、「兄弟」を増やしていかなければ。
どうしても新沼さんに会いたくなった理由
(以下、前回アップした内容です)
今年の夏、ずっと会いたかった人にやっと出会えた。
ちょうど夏休み時で、東北の町はイベントがいっぱい。
なかなか時間が調整できなかったかれど、それでも会えた。
経緯を話せば、フェイスブックで知り合っていた人物と連絡を取って実際に会った。ただそれだけ。でも、それだけのことが、勇気とか誇りとかにつながる経験になった。
かなり長い引用になるが、彼の言葉を紹介する。
忘れない311。
己も忘れないために
知らない人に知ってほしいから。
知ってる人に忘れて欲しくなくって。。
振り返る311 ①
あの日の日記があったなら。
312
地獄の日から一夜明けた。
結局眠れなかった。
ラジオでは
隣街の陸前高田の
『壊滅状態…連絡不能』と
何度も聴いた。
昨夜、病院でニュースを観た。
真っ暗な街が
火の海になっていた。
気仙沼だった。。
あちこちで通行止めで
うろたえる人々。
路上で抱き合い
泣き崩れる人々。
車は流されたのか…
歩いて帰路につく人々。
戦争は知らねぇけど
夜が開ける前から
ヘリが戦争かの様に
飛んでいる。
相変わらず現場には
壮絶な景色が広がり
事態の酷さを知る。
自衛隊も来てくれてる。。
地元の消防団だろうか…
残る命はないか…
捜してる。。
昨夜、ご遺体を見つけて
連れて帰る事が出来なかった
場所をいくつもいくつも教えた。
水は引いてた。。
どうしても
行きたいトコがあった。
普通の民家だ。
昨夜、命があった。。
うめき声だった。
ライトで照らし励ました。
元気か?
の問いに家の中から
ビンを叩く音が聞こえていた。
彼は息絶えていた。
わずかに膝から下を
階段と瓦礫に挟まれてさ。。
俺と同じ歳位かな…
溺死じゃねぇよ
多分…凍死。。
何度も声をかけ
何度も顔を叩いた。。
その挟まった足を
抜いてやろうと
瓦礫を上げた。。
死ぬ程簡単に瓦礫は動いた。
『てめぇ…
なにしてんだよ…男だろ。』
また俺は泣いた。。
彼の手にはミッキーマウスの
マグカップがあった。。
使いかけの鉛筆…それで
音を出してたんだな。。
彼の家の二階から観る
自分の故郷にまた泣いた。。
昨夜、寝ないで動きまわった。
俺が走り回る事は
俺が生きてる
アピールでもあったから。
10代で問題を抱えて
親に俺の元へ連れてこられた
不良少年。
震災のよるは23歳だった。
友人知人の安否を
確認したくて
病院、避難所へ……。
真っ青な顔をした少年は
病院で雑な手当をされていた。
右手にガッツリ、キズ。
きっと堪えて居たんだろう
子供の様に泣き出した。
親父(俺の事)
俺三人しか助けられなかったよ…
三人流しちゃったよ…と。
数年前には
有名な街のクズと呼ばれていた不良少年の話。。
その傷はさ。
救助に失敗した時に
流した人の爪跡だったらしい。。
22歳の女の子。
10代でメンタルに弱いトコがあって俺の元へきた。
震災の次の日は22歳。
老人ホームで働いていた彼女
避難時ベッドに
爺ちゃん婆ちゃん載せて
ひたすら走ったって。。
おとなしい彼女なんだけどね。
「パパ(俺の事)おじいちゃんおばあちゃんに、ジジイ!っていっちゃった」泣きながら言ってた。
どうした?と聴いたらさ。
ベッドに3人ずつのせて
坂道を登ったって…
三度目にして津波が見えてきた。
爺さん、婆さんを一気に
五人乗せた。
ジジイ!早く乗れ!って
言ったみたい。
坂は登れなかった。
坂の途中、
爺さんが彼女の手を…
ベッドのパイプから離した。
爺ちゃん婆ちゃん
彼女に向けて、
手を合わせてた。。
波が引いて
すぐに救助へ
そこにはさっきの爺ちゃん…
抱きかかえると目はクボミ
頭部が軽かったそうだ。
衝撃で中身が抜けてそうだ。
カラになった頭部に
後ろからとっさに
周りあった
新聞紙をつっこんで
目のクボミを治したそうだ。
あのさ…
津波は俺達に背負わせるんだろ。
何を彼等に背負わせるんだろ。
津波は…。
まだ子供だぞ。。
俺ね……
まだ1ミリも津波の野郎
許せてないよ。。
ふざけんじゃねぇよ。
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彼の名は新沼暁之さん。
若い頃はずいぶんヤンチャをしてきたけれど、あの日、すべてが変わった。昔の知り合いの中には、人間が変わっちまったとずいぶん驚かれた。しかし、経験したこと、目にしたこと、そして心に思ったことに従って生きることにした。あの日からずっと真っ直ぐだ。
がれきの撤去を支援してきた。街灯が消えた真っ暗な町に、太陽電池とLEDを使った照明を灯す活動をずっと続けている。大川小学校にはクリスマスイルミネーションやハロウィンの飾り付けも行っている。
この夏の台風では、被災した熊谷にも行った。一度岩手に戻ってから京都にも駆けつけた。その時、熊谷の町内会長さんが封筒を手渡した。
「新沼君、コレ少しだけど
使ってちょうだい。」
渡される茶封筒。
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金だとすぐにわかった。。
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「いらねぇよ!
俺達ゃ支援しにきてんだよ
支援されてどうするんだよw」
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会長はいう。
「俺達は見ず知らずの
あなた達に助けてもらった。
少ないけどこのお金で
俺達の分まで
見ず知らずの京都の人を
助けてあげてほしいんだ。
俺達は本当に嬉しいんだ。
だから何かしたいんだ。」
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断らなかった。
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何故ならその言葉を
京都に伝えたかったから。
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暖っかい話。。
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日本をまた好きになれる時。
大切な、兄弟。
震災がなければ、会わずに一生を終わったかもしれない。
出会えたこと自体が、貴重な宝物だ。
だが、あの夏の夜に握手を交わしてから、忙しさや距離にかこつけて再会していない。
彼に言い訳は通用しない。だが、その場にいけなくてもできることはあるはずだ。それは、彼のことをもっとたくさんの人たちに知ってもらうこと。
彼の言葉を聞いてほしい。
感じるものがあったら、コメントで励ましてほしい。そして、たいせつな仲間になってほしい。
日本だって捨てたもんじゃない――。
何度そのことを彼から教えられたことか。
本物のサムライは実在する。
自分はそのことを伝え続ける。
●TEXT+PHOTO:井上良太
新沼さんとタッグを組んで活動を進める佐藤健さんが代表を務める、特定非営利活動法人絆プロジェクト三陸のページです。佐藤さんの言葉も熱い直球です。会員になる、寄付をする、復興支援商品を購入するなど、サポートの方法は多彩です。ぜひページをご覧ください。