2013年8月1日、
石巻最大のお祭り「川開き」に、沖縄の伝統芸能エイサーが登場した。
「なぜ?」って思う前に写真をずらっと見てください。
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ひとりの青年の夢が、ふたつの町を結ぶ
エイサーの先頭に立って大太鼓を叩き、踊る、東恩納寛武(ヒロム)さんを探し出した時、別人かと思った。ぎゅっと引き締められた口許に、今日にかけるすべての思いが込められてるのを感じた。
沖縄エイサーが石巻で演じられることになったのは、災害ボランティアとして石巻に入り、そのまま移住することになったヒロムさんの思いからだ。彼がどう思い、何をどうやって、そしてどんな人たちのサポートを得てこの日が実現されたのか――。詳しくは「エイサー石巻」のページを見てほしい。
人と人が、たとえ最初は見ず知らずでも、つながっていって、大きな感動をつくり出すことができることが、ひとりひとりの主役たちの言葉によるドキュメントとして記されている。
そしてそのページの冒頭に掲げられているのが「出会えばきょうだい」のフレーズ。
じっさい、この日が近づくとともに分かってきたのだけれど、自分が石巻で知り合った人の何割かが、このエイサーに深く深く関わっていた。実はあの人もこの人も、この日の準備に奔走していたんだと知って驚かされたほど。
沖縄ブースにはマッハやサコちゃんたちがいた。はまぐり堂のパンを焼いているきょんちゃんもいた。写真家の慶祐さんは沖縄からやってくるメンバーのアテンドも務めていた。顔に白塗りしたチョンダラー(京太郎)として参加していた1人は、狐崎浜のビーチクリーンで陸上班のリーダーをつとめていたヒロ兄だ。自分がヒロムさんと出会ったのも、その時だった。
ビーチクリーン陸上班、小物部隊のリーダーとして、砂浜のゴミを拾って、拾ったゴミを崖の上までバケツリレーして、さらに崖の上のゴミ拾いをして。その時、リーダーとして動いていたヒロムさんも、それはそれで真剣だったけど(とはいえ打率3割弱のギャグも連発していたが…)、この日の顔はまるっきり違う。
今回は道を歩きながらのエイサーではなく、パレードの通りの何か所かで移動せずに演舞するエイサーだった。1か所が終わった後、次の会場へ音響などの機材を乗せた軽トラを運転するヒロムさんの横顔を見た。
おまつりのインターバルなのに、緊張を切らすことのない、真剣な表情だった。
まっすぐな思いが、仲間たちを巻き込んで、東北の石巻と、沖縄の今帰仁村(なきじんそん)湧川(わくがわ)を堅く結びつけた。
「石巻と、沖縄県の今帰仁村がちょーでー(きょうだい)になります」
まつりの前日、ヒロムさんはそうFacebockに書き込んた。
当日、夜の花火大会まで舞い続けたヒロムさんたちは、最後には石巻の人たちといっしょにカチャーシーを踊った。
ヒロムさんたちは、チョンダラーとして参加してくれた石巻の人たちを、今度は沖縄・今帰仁村に招待して、沖縄でのエイサーに参加してもらおうと計画している。
そして、来年もきっと。
日本中から石巻に集まった人たちが、エイサーを通して出会って、きょうだいになっていく。その輪がどんどん大きくなって、日本中を包み込むことを!
●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)
石巻川開きに、沖縄の今帰仁村(なきじんそん)湧川(わくがわ)のエイサー隊がやってきたのか。どうして石巻の人たちもチョンダラー(京太郎)として参加したのか――。熱い思いに胸を撃たれるページです。