2013年8月6日。広島に原爆が投下されてから68年がたった。
しかし、原爆というものそれ自体が、いったいどういう物なのか、自分でも意外なほどわかっていないことに気づいた。以下は、調べてみたことの簡単な覚書きである。
広島型原爆・リトルボーイ・TNT火薬1.5万t
1945年8月6日、広島に投下された人類初の原子爆弾Mark-1は別名「リトルボーイ」と呼ばれる。
4トン以上もある大型の爆弾なのにリトルというのは奇異に感じるが、8月9日に長崎に投下されたMark-3「ファットマン」と比較しすると、たしかに細っそりしていて小ぶりに見える。見た目も違うがリトルボーイとファットマンは核物質から爆発のしくみまで異なっている。
リトルボーイに使われた核分裂物質はウラン235。自然界には0.72%ほどしか存在せず、原爆に詰め込むには80%以上に濃縮する必要がある。
ウラン235は、一定量が集まるだけで臨界し、核分裂反応が連鎖的に始まる。そのためリトルボーイでは、爆弾の中心軸に設置したパイプ状の部品の前と後ろに、臨界に達しない程度にウラン235を分けて搭載している。爆弾を爆発させるには、尾部側のウラン235を起爆装置で前方に飛ばし、ウラン235を臨界させることで瞬時に大きなエネルギーを得るようになっていた。(砲身式、ガンバレル型と呼ばれる)
リトルボーイに積み込まれたウラン235は60㎏とも10㎏ともいわれるが、そのうち核分裂を起こしたのはわずか1㎏ほどだったとされる。わずか1㎏のウラン235の核分裂で、TNT火薬に換算して1.5万tに相当するエネルギーが解放されたことになる。
一般的な軽水炉での原子力発電は、ウラン235を核分裂物質として利用し、制御棒で反応をコントロールすることで、大量のエネルギーが一気に解放されるのを抑えている。
長崎型原爆・ファットマン・TNT火薬2.2万t
1945年8月9日、長崎に投下された原爆は前述のとおりファットマンと呼ばれる。リトルボーイは爆弾の構造は単純だが、プルトニウムを使用できないという重大な問題があった。ファットマンがリトルボーイと違ってたまご型なのは、内部にほぼ球状の核爆発装置を納めていて、その装置がプルトニウムの爆発的核分裂を実現するために不可欠だからだ。
プルトニウムは自発的に核分裂する可能性が高いため、リトルボーイの方法では分裂が完了する前に爆弾がばらばらになってしまう危険性が高いのだという。そのため、密度の低い状態のプルトニウムを球状に包み込むように爆薬をセットし、爆発の衝撃波でプルトニウムを圧縮し、核分裂反応を発生させるという方法がとられた。爆縮レンズと呼ばれるこの爆発装置は、サッカーボール同様六角形と五角形を組み合わせた32面体をしているといわれ、それぞれの面に起爆装置が備え付けられている。爆縮によってプルトニウムを全方向から正確に押さえ込むためには、非常に高いレベルの技術が必要とされる。リトルボーイ型の原爆が実験なしで広島に使われたのに対して、ファットマン型の原発は、7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで実験が行われている。(トリニティ実験:人類初の核実験)
無性に悔しくて、そして腹が立ってきた
広島型は、爆弾そのものの仕組みは単純だが、ウラン235の濃縮に技術とコストが必要になる。いっぽう長崎型はプルトニウムそのものは原子炉(とくに黒鉛炉)で容易に入手できるが、爆弾そのものの設計や製造が大変だ。その大変さを巡って、68年前の原爆投下以来、一部の為政者たちはやっきになってきた。相手より少しでも多くの核を持とうとしたり、スパイを使って技術を盗もうとしたり、原爆を外交カードとして使ったり。いまも核保有への動きは世界のあちこちにあるという。
爆弾の中にパイプ銃を仕込んでウラン同士をぶつけるとか、
サッカーボールの形の爆薬を内側に爆発(爆縮)させて、プルトニウムを逃げ場なく、しっかり分裂反応させるとか――。
まるでガキの発想じゃないか。
核分裂という知恵を付けた未成熟者が、未来への配慮をまったくすることなく、手に入れた玩具を振り回している図とまるで同一である。
政治家も、科学者も、技術者も、軍人も、マスコミも、自分たちも、みな人間だろう。
人間であるということは、傷つけられれば血を流す生き物だということだ。
八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧(お)しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂(さ)け、橋は崩(くず)れ
満員電車はそのまま焦(こ)げ
涯しない瓦礫(がれき)と燃えさしの堆積(たいせき)であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦(こ)げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏(いかだ)へ這(は)いより折り重った河岸の群も
灼(や)けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光(かこう)の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠(へいきしょう)の床の糞尿(ふんにょう)のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭(いしゅう)のよどんだなかで
金(かな)ダライにとぶ蠅の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
この稿のとりあえずの終わりに当たって、
本日の平和祈念式典での松井一実広島市長の言葉を引く。
「核兵器は非人道性の極みで絶対悪だ」
思い続け、感じ続け、声をあげ続けることに終わりはない。
●TEXT:井上良太(ライター)