中学生をかき集める監督 【ありがとうマンモス野球部2】

今からおよそ10年前、僕は西日本にあるA高校の野球部に所属する野球少年でした。全国に数多ある野球部と同じように練習し、同じように甲子園を目指していましたが、少しだけ、他校とは違う特徴がありました。母校は明治時代創部の伝統校、部員数は毎年100人を超すというマンモス野球部だったのです。このシリーズでは、そんな僕のマンモス野球部ライフを紹介していきたいと思います。

自ら中学を訪問して生徒をその気にさせる監督

 母校・A高校は、久しく甲子園出場から遠ざかっていたものの、予選大会ベスト4~8あたりの常連、いわゆる準強豪校でした。安定した戦績を残し続けた秘訣と言えば、やはり厚い選手層だったと思います。

 もちろん、その厚い選手層は一朝一夕にして成り立ったものではありません。A高校野球部のP監督の精力的な活動が、その背景にありました。 中学生が受験モードに突入する秋ごろ、P監督の手腕が発揮されます。進路希望でA高校の志望を公言すると、どこからとなく噂を聞きつけた監督が、わざわざ中学を訪問してくれたのです。僕もそんな経験をした一人で、「憧れの高校の野球部の監督が、わざわざ自分なんかのために!」と舞い上がったものでした。

 ところが入部してみると、受験生の半分以上が“監督訪問”の経験者。みんな「自分だけが特別!」と舞い上がって入部していたのです。こうして部員数は膨れ上がっていきました。

“部活動体験”は青田買いのチャンス

 勝利が宿命づけられた私学では、特に有望な生徒を選別する“セレクション”というのが行われていました。これは、文字通り自校のグラウンドに集めた中学生の実力を見比べ、有望な生徒には入学を内定するという私学ならではの補強策です。ところが、「学業が本分である学生を野球で選別するとは何事か!」という風潮が高まり、いつの間にか“セレクション”という言葉は聞かなくなりました。

 僕の母校A高校では“セレクション”ではなく、“部活動体験”という行事がありました。めぼしい中学生を集め、あくまで部活動を“体験”させるのです。ただ、もちろんそこで実力の高い生徒のチェックは忘れません。 特に囲っておきたい生徒に関しては、“部活動体験”と同時に学力テストを受けさせ、学力における補強ポイントをまとめた参考書を渡していました。監督に直に激励を受けると、素直な野球少年は「やってやろう!」と思っちゃいますよね。僕もそんな一人でした。“セレクション”が禁じられたばかりの当時、私学ができる最大限のアプローチだった気がします。

学業がおろそかな生徒を名門校に流す監督

 母校・A高校は内部進学を前提とした大学付属高校でした。野球に専念できるメリットはありますが、あまりにも成績が悪ければ、さすがに大学の偏差値に見合いません。そのため、いくら有望な選手であっても、中学の成績があまりにも悪い生徒にまで「Welcome!」とはいかなかったようです。 僕の同級生にあたる、地元の中学野球界では超有名だった生徒・Z君も、なんと同じA高校を志望していると噂がたちました。もちろん、P監督は即座に彼を訪問。学力テストを受けさせたそうですが、採点された答案はちょっとどうにもならない成績だったとか。そのうえ、素行が悪いということまで明らかになってしまいました。

 そこで、P監督はZ君にA高校を諦めてもらうよう、自身のツテのある同じ県内の甲子園常連校・B高校をZ君に紹介しました。彼はそうとう気落ちしたそうですが、心機一転、B高校に入学したそうです。その後、彼が所属したB高校は2度も甲子園に出場しました。レギュラーで活躍した彼は、後に推薦でワセダに進学するというおまけつき。一方、A高校は相変わらずベスト4~8付近で涙をのみ続けました。もし、A高校に入学していたらどうなっていたんでしょうか・・・。