今回の取材のお題は「石巻に住みついて活動しようと思ったきっかけを教えてください」。
登場してくれた竹内久古さん・古里裕美さんのお二人は、NPO法人「On The Road」のボランティアスタッフとして石巻に入り、団体としての活動を終了された後も個人としてそのまま石巻に住みついて活動を続けている方々です。
「そういう人ってけっこういるんですよ。団体としての活動を離れた後も石巻で活動することを、ボランティアから足を洗うなんて言ったりするんです」と教えてくれたのは、広島からやってきた竹内久古さん(通称サコチャン)。
面白過ぎます。抜け忍とか、サイボーグ009たちとか、いろいろ連想してしまいました。足を洗うって言ったって、もちろん至極平和的に、なんですけどね。
「自分は写真家なので、石巻には写真を撮ろうと思って入りました。人間関係をつくって、写真を撮らせてもらえるようになるには1年はかかるだろうと、そのつもりでした。でも、ボランティア団体を抜けた後でも、地元の人には『ボランティアさん』って呼ばれるんですよね。そのたびに『もうボランティアじゃないんです』なんて説明しています」と言うのは古里裕美さん(通称マッハ)。
どうして『マッハ』と呼ばれるのかは聞きそびれましたが、聞くまでもありません。とにかく活動的。物理的な動きはもちろん、思考も俊敏。音速だからマッハなんでしょう。でも、彼女のスピード感を例えるなら『光速』の方がふさわしいかもしれません。
そんなお二人です。普段から元気に外を飛び回って活動している方たちなので、「思い出の地」を巡りながらインタビューさせてもらうことにしました。
※以下、文中では現地の雰囲気をお伝えするため、お二人のことは愛称で表記させていただきます。
右がサコチャン(竹内久古さん)、左で跳ねてるのがマッハ(古里裕美さん)
最初に案内してもらったのは、石巻の街なかから車で20分ほどの場所にある佐須浜。万石浦の出入り口にあたる渡波港の東側に位置する漁業を中心とした集落です。
「ここには夕日を見に来たり、釣りをしたり、よく来ているんですよ」と、話だけ聞いていると、まるでレジャーに来ているようなこの場所で、二人はさまざまな人と出会い、さまざまなことを感じてきたようです。
津波で集落がほぼ壊滅した佐須浜ですが、浜のリーダーは死者を出さなかったことが誇りだと彼女たちに語ったことがあるそうです。
「いったん津波から避難した後に、あれがないと困る、これも必要だと家に荷物を取りに戻ろうする人を制するためにリーダーが言った言葉がいいんです。『命があればなんとでもなる。たとえ無一文になったって、誰かが助けてくれる。それを信じろ。自分たちだって誰かが困っていたら助けるだろう。その気持ちを信じるんだ』。すごいでしょ。超カッコいいと思いません?」(マッハ)
この話を聞いたのは、実は佐須浜から移動する時だったのですがガツンときました。写真家のマッハはその人が海に向かって立つ後姿を写真に収めています。その写真を見せてもらったのですが、超カッコよかった!
光る海に向かう後姿に、信念とか、生き様とか、そういういろいろなものが凝縮されていました。
サコチャンは広島出身で、石巻に来るまでは教師をしていました。「行くからには1カ月くらいは滞在しよう」と思っていたのが、もうすぐ在石(石巻に在住すること)1年を迎えます。
「私はいま仕事をしてなくて、稼ぎがない状態で暮らしているので、この1年はやっぱり特別なんです。後ろめたい気持ちもありますよ。だから、なんで石巻にいるのかってズサッと聞かれると困りますね。ただ、『自分探し』の場だけにはしたくくないと思うけど、他人から見るとそう思われるかもしれません」
そんなサコチャンが、どんなふうに地元の人々と関わっているのかは、後編まで読んでいただくと十分分かってもらえると思うのですが、ここでは「自分探し」について。
サコチャンの「自分探しだけには」発言を受けて、マッハも「そうだよね、自分探しじゃないよね」と言っていたのですが、0.1秒もしないうちに、
「でも、いま言ってから思ったんだけど、自分探しだとダメなのかな。自分探しでもいいんじゃないかなって思えてきた」
と芸術家らしく(あるいはマッハらしく)瞬速で割り切った言葉をぶち込んできました。被災地に外からやって来て、みんなが苦しんでいるところで自分探しなんて、という気持ちはたしかにあると思います。でも、どんな行動でも突き詰めていくと「自分の生き方」とか「自分の生き様」とかいう部分に突き当たるというのです。
今度はサコチャンの番です。「言葉の印象もあると思うけど、人間が『愛ってなんだろう』って考え続けたり、『生きること』や『死ぬこと』を考え続けるのと同じような意味で、自分を探すってことは大切なのかなあ」。
悩みながら、考えながら、その時、その場で考えを作り上げていく。佐須の砂浜が人生について語り合う場になりました。サコチャンの言葉が広島弁のイントネーションに変わります。
「でもね」とサコチャン。「よくわからんけど、私たちには想像できんようなキズがあると思うんよ」。
「あるね」とマッハ。
「私も広島の人間で、原爆あってから68年経ってて、でも戦争を知らん私たちには届いてない声がいっぱいあると思う。同じと思う。ここの人たちが過ごした『あの日』。私たちには想像もできないあの日があって、そこから日常が生まれている。いま刻まれているのは、ぜんぶあの日からの日常なんだっていうこと。うん、そうなんだ。でもそれが何なのかと言われたら、わかんない」
と、引っ掛かりながらも言葉を紡ぎだしていたかと思ったら、サコチャンは「竹内は自由にしゃべりすぎました。防波堤に行きますよ」と、すたすた堤防の上を歩きはじめるのです。
堤防をゆくサコチャンを追いかけながら、マッハと写真の話をしました。
こんなことを言うと間違いなく不謹慎だと叱られてしまうかもしれないけれど、人間って誰でも大変なこととか辛い思いとかを抱えている。明るい部分と陰の部分が同居している。それは被災地の人たちに限ったことじゃないと思う。でも、だからこそ、苦しんでいる人の気持ちがわかるし、応援したいという気持ちになる、という話です。どこが写真の話かって?
人間の光と陰を、ぜーんぶ銀塩写真(フィルムと印画紙を使う写真作品)の中に写し込もうというのがマッハの写真だからです。光と陰を写し込んだ中に見えてくる光、あるいは陰。それを直視するのが写真家・マッハなのです。
でも、被災地でこんなことを言われたこともあります。「共感しているようじゃまだダメだ」。
「あ、それ私も言われたことありますよ」とマッハ。「共感じゃなくて、一緒に苦しまないと。同苦(ドウク)、同苦なんだって。そうか同苦かあって」
ここまで話してマッハも言葉を呑み込みました。
すらすらと筋道を立てて説明できるようなものではないのです。うまく表現できないと感じたら、言葉を切るしかない。ウソは語りたくない。そんな彼女たちの言葉のひとつひとつに、誠実さやひたむきさを感じた海辺での時間でした。
しかし、彼女たちが、どんな風に地元の方々と関わりあって、どんなに大切な存在でいるのか。その実像は、次に案内してくれた場所で、たっぷりと感じ取ることができたのでした。
(後編へ続く)
「同苦かぁ」と言葉をのんだマッハですが、言葉ではないかたちで、彼女が石巻で感じてきたことを表現する場を得ています。それは写真展です。
古里裕美展「ヒカリトカゲ」
期間:2013年2月7日(木)〜2月14日(木) 時間:10:00〜18:00
場所:巻.com事務局 宮城県石巻市中央2丁目8-2 ホシノボックスピア1F [マップ]
お近くの方、ぜひご覧ください!
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)