2012年11月16日◆七ヶ浜~東松島~石巻(宮城県)
こないだ出張に行ったばかりなのに、今回は2週間以上。ビックリどころの話じゃないと怒ってるかもね。ごめんな。
でも、たくさんの人に会って、いろいろ考えたり感じたりすることがたくさんで、父さんは出張の初日からすごいことになっている。その場に一緒にいたらキミがどう感じるかと思うこともしばしば。おれが思ったこと、できるだけきっちりとキミには伝えようと思う。だって、キミには通じるもんな。
今日は新幹線で仙台に入って、そこからレンタカーで石巻に向かった。高速道路には乗らないで、途中にある七里ヶ浜や東松島を見て回りながらの道中だった。いろんなことがあったよ。名産の牡蠣を使ったカキラーメンで有名なお店にも行った。
「今年は夏が暑くて雨が少なかったから牡蠣の成長が悪い。例年ならこの時期から季節メニューで始めているはずだけど、まだやらない」
小さい牡蠣ならあるにはあるけど、「うちのメニューとして出すだけの、ちゃんとした牡蠣が入荷するまでは、やらない」んだって。
まつ毛まで白髪のおじいちゃん店主がそう言うんだぜ。かっこいいだろう。
父さん、「おいしい牡蠣ラーメンが食べられるまで、何度でも来ますから」って言っちゃったよ。
◆ にんげんが感じること。にんげんが生きるということ。
牡蠣ラーメンのおじいちゃんの話だけで、今日はおなか一杯だったんだけど、そうは問屋が卸してくれなかった。石巻で2度目に会った電器店のおじさんと、けっきょく深夜まで語り続けることになった。
彼の話はこれから何度も記事にしたり、記事以外の形でも伝え続けていくことになると思う。ぜんぶをここで紹介するのは不可能だ。
だから、この動画を見てほしい。
石巻の中心地にあったおじさんの電器店は津波でダメになった。そしておじさんは石巻の中心地につくられた仮設の商店街で営業を続けている。でも石巻の中心地って、震災以前からシャッター通りだったんだ。そんな町で仕事を続けてきたおじさんが、プレハブの仮設のお店に入った後、不思議な縁でつながって、つながった縁が広がって、被災地じゃない人たち、それも若い人たちとの間でミッションの輪がつなった。
仮設商店街の殺風景な壁面に、美術を学ぶ大学生たちが花を描いていく。この動画にはそんな物語が描かれている。
タイトルは「明日へつなぐ絵(花の芽をつなぐ運動第2弾)」。
第2弾ってくらいだから、もちろん第1弾もある。3弾も4弾も5弾もある。輪はどんどん広がっている。
第2弾の動画は、千葉県にある大学で幼児教育を勉強している若者たちが中心となって活動した記録映像だ。そこには、自分たちにできることで被災地に少しでも力になることができたという大学生たちの笑顔と、やさしい手の平のぬくもりが描かれている。
そして、そんな映像にカットバックするように差しはさまれていたのが被災直後の映像。
笑顔とつらい記憶が同時にそこにある。
「けっこういいでしょ」
電器店のおじさんは、仮設商店街の一室に設置された大型モニターの映像を見ながらそう言った。
外側にいる人たちが「被災地」と一括りにして呼んで、なんだか分かった気でいることがどんなに浅はかなものなのか、おじさんの一言がいろんな意味で串刺しにしているように思った。
震災から1年8カ月以上経ったけど、「被災地」はほとんど何も変わっていないよ。
もう一度、見てみようか。そこにある笑顔は、まぎれもない笑顔。 そして、悲しみが変わらずそこにあることも事実。これが、現実だ。
泣こう。 ぼくたちには、共感する力があるんだから。
自分が何をするか。それはおれやキミの問題なんだよ。