2012年10月24日の防災対策庁舎
大型観光バスで、貸切のマイクロバスで、そして自動車やバイクで、今日もここに人々が集まってくる。
南三陸町、旧・志津川市街地に残る鉄骨の骨組み。周辺では建物残骸の撤去が進み、防災対策庁舎は廃墟の中で孤立しているように見える。
町の職員や周辺住民など、50人以上の人が避難しに集まった防災庁舎は、今日も遠方からの訪問者を受け入れている。
13メートルという高さは高いのか低いのか。
防災無線で津波からの避難を呼びかけ続けた女性らが、マイクの前を離れた時、屋上には30数人の人がいたという。
防災無線の声の主は生きては還らなかった。屋上へ逃れることすらできなかったのではという話だ。防災庁舎内で彼女とともに最後まで働いていた職員たちも流された。いまも行方不明の人もいる。
ここは、そんな場所。
あまりにも有名だから、みんながそのことを知っている場所。
海側の鉄材はひん曲がったまま。山側の階段手すりもなぎ倒されたまま。あり得ない姿で残された、建物の骨組みだけがさらされる場所。
ゴミや瓦礫が整理されても…
「直後はもっとひどかった」と話している人がいた。
しかし、ゴミや瓦礫が整理されても、ここで多くの方が亡くなったことが整理されることはない。
ここに人が集まるのはどうしてだろう。
誰かの笑顔に会えるわけでもない。ここに来ることで、何かが理解できたり納得できたりするわけでもないのに。
つかみようのないものが心に残る。どんな言葉に表現したらいいのか分からない。
無理やり言葉にすると、「かわいそう」とか「自然の猛威」とかの言葉になってしまいそうだが、それでは明らかに不本意に思えてしまう、もっと違う感情。
大型観光バスで、貸切のマイクロバスで、そして自動車やバイクで、今日も人々が集まってくる。1年半前のあの日、屋上のアンテナや非常階段につかまって、8人しか残らなかったといわれるこの場所に。
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)