♪ あめ あめ あめりか芋 まるくて かわいい いも
じゃがいもみたいな さつまいも
だけども ぼくは あまり 知られていないんだ
こんなに 甘くて おいしい 芋 なのに
あめりか芋?店長のおやつ?
・・・その日はじめて聴いたのに、いつの間にか口ずさんでしまう、不思議なほどに耳に残る歌だった。島じまん2012のステージにて、歌われていた「にいじま あめりか芋のうた」である。「あめりか芋」、歌詞のとおり、確かに知らなかった。新島にこそまだ縁が無かったのだが、伊豆諸島はいくつかの島を訪れたことがある。しかし、「あめりか芋」なんて聞いたことが無かった。※それもそのはず、この日はその曲がリリースされてまだ2日目だった。新島出身者らで構成される島音流(しまねり)さんのデビュー曲である。
たとえば明日葉やべっこう寿司、くさやなどがそうであるが、伊豆諸島9島、離れてこそいるが、名産品や郷土料理など、少しは被っているものだ。ましてや、火山として同じように生まれてきた伊豆諸島である。当然と言えば当然のことだろう。だからこそ「新島のあめりか芋」にはとても興味が湧いた。
新島のブースに立ち寄ると、あっさり出会うことが出来た。あめりか芋がまるごと販売!・・・では無かったが、加工品が試食出来るようになっていたのだ。名前は「店長のおやつ」。・・・この名前!!もうこれはやばい。新島産あめりか芋っていう名前も気になっていたが、それを加工した商品の名前が「店長のおやつ」。もう意味がわからない。そもそもなんでアメリカ!?店長って誰!?気になることだらけである。
新島の歴史を背負ったさつまいも from USA
「あめりか芋はなぁ、昔アメリカから来たからあめりか芋なんだよ。」身も蓋もない回答を頂いた。まー単純ねーと思ったが、背景にはちょっとしたイイ話がある。かねてより伊豆諸島には急な斜面や火山ゆえの砂地が多く、稲作や畑に使える土地が少なかったという。米が作れない伊豆諸島では、江戸幕府に対し、米の代わりに塩を納めていた歴史があるほどだ(塩年貢)。中でも深刻だった新島では、自然条件の厳しさもあり、飢餓に悩まされていた歴史を抱えていたのだという。麦や大豆や粟なども細々と作られていたというが、とても島民の空腹をまかないきれる量ではなかったそうだ。
そんな中で新島に伝わったのが、さつまいもだという。徳川吉宗の時代、たびたび西日本を襲った大飢饉の中で、生育期間が短く育ちの良いさつまいもが、凶作を救う作物として認知された。吉宗に命ぜられた青木昆陽という儒学者が、栽培方法をまとめたそうで、その結果、新島はさつまいも栽培に成功を収めたのだ。様々な品種が試され、新島のやせ地に適していた芋こそ、あめりか芋だった!・・・というワケである。保存性の高さも重宝され、瞬く間に新島の生活に欠かせない存在となったのだ。
「今でこそ、流通が整ったおかげで米が主食となったけどよ、それまでの新島ではあめりか芋なしには生きられなかったのよ。」
そう語るのは、店長だ。・・・ん、店長?この方が店長か!!この「店長のおやつ」を販売しているお店の店長のおやつだから「店長のおやつ」。文字にするとよくわからないが、そういうことらしい(笑)。店長に似せた(?)イラストには「うめぇよな!」って書いてあるが、確かに甘くてうめぇ。
♪ 島中 畑は あっちもこっちも ぼくらが並んでた あの日
お米のかわりに 主役になって テーブルに 並んでた あのころ・・・
「にいじま あめりか芋のうた」には、あめりか芋に対する感謝が込められている。確かに、生活の利便性が向上したことで、あめりか芋に頼る必要はなくなったかも知れない。それでも新島の歴史を支えたあめりか芋、もっと広く知ってほしい。美味しく調理されたことで、再び新島の顔になりつつある。
♪ ぼくは 白い さつまいも。
※随時、各島を話題に記事を更新していきます。
◇参考ページ◇
(新島村ふれあい農園 HP)
(農商工連携推進事業)
島音流(しまねり) (2012年5月26日「にいじま あめりか芋のうた」でデビュー。曲も聴くことが出来ます!)