なんで「ポンちゃん」って呼ぶか?
それはホームランをポンポン連発するから。
戦後のプロ野球黎明期、川上の赤バットの向こうを張った青バット。昭和21年に放ったホームラン数は、全球団の約1割。
いまだに破られない、飛距離170メートルのホームランや、1試合7打数7安打の大記録。ルール違反の竹製バットで猛打賞。
竹バットのことを自分でバラして罰金を喰らった、なんてこともあった。
昭和27年からは、都落ちした三原さんの西鉄ライオンズに移籍。それまで所属していたチームとの対戦で、スタンドからヤジられると、
観客に向かってペコリと一礼。どこまでも憎めない人だった。
西鉄ライオンズの日本シリーズ3連覇に、不動の四番バッターとして貢献。
若手選手を自宅に下宿させ、毎晩のように飲み歩いた。遊郭あそびもした。面倒見がよすぎて、手元にお金が残らなかった。
二枚目で女からも男からもモテたけど、子供たちにも大人気だった。
握手してもらった、野球を教えてもらった、一緒に写真を撮ってもらった、なんてうれしそうに話すオッちゃんが、今でも北九州や福岡にはたくさんいる。
福岡の自宅はいつも子供たちに解放されていたんだとか。
引退した後も子供たちと遊び続けた。たくさんの少年チームを指導した。少年野球チーム大下フライヤーズも作った。
56歳という若さで亡くなったけど、死の遠因となった脳血栓で卒倒した時も、少年野球の指導中だった。
ポンちゃん。お名前は大下弘さん。
あの三原さんに、名打者を5人選ぶなら、王、大下、川上、中西、長嶋。3人に絞れば大下、中西、長嶋。1人選べば大下だと言わしめた。
ポンちゃんみたいな野球選手にはもう会えないのかな。
ちょっと大人向けのエピソードだけど、こんな話も残っている。
ポンちゃんの奥さんは、素人に手を出さないことを条件に、大下さんにお小遣いとは別に「生理休暇代」を渡していた。
ポンちゃんが、もっと増やしてほしいとねだると、「何を言っているんですか。必要な場合は私が出前出張します」
って言って、「ちょーだい」って出してたポンちゃんの手をはたいたんだって。
人間だなあって思う。
ポンちゃんみたいな人に会ってみたいと、心から思う。
西鉄の全盛期を知る人たちは、三原脩監督のことを今でも「三原さん」と呼ぶ。まるで知り合いのように。(うちの母もそうだ)同じように、ポンちゃんのことも、女性だったら「大下さん」、当時こどもだったオッちゃんたちは「ポンちゃん」と呼んでいる。
誰か、ポンちゃんのこと、映画化してくれないかな。