わがまち三島の観光名所として知られる「源兵衛川」。ことしは水量が非常に豊かで…というレベルを通り越しちゃいました。
水が多すぎて川の流れの中を散歩できる飛び石や板が水没。川の最上流から広瀬橋(井戸のポンプがあるところ)あたりまでは下の写真のように立ち入り禁止になっています。
これはあくまでも「遊歩道は使えません」ということなのか(その辺よくわかりませんでした)子供たちはその区域内に入って元気に水遊びしていました。
ことし水が多い理由
源兵衛川上流の飛び石の遊歩道が水没することは珍しくない(現在の飛び石も一番初期の飛び石からかさ上げされているはず)のですが、広瀬橋からさらに下流、三島中央病院のあたりまで飛び石や遊歩道の板が水没したことは記憶にありません。
原因は相次いだ豪雨と長引く梅雨による近年まれにみる降水量だと思われます。
三島の湧水について語る時「富士山の雪解け水が時間をかけて」などと表現されますが「やっぱり直近の雨も関係あるよね」と思ってしまいます。
が、その水はあくまでも透明でキレイです。この辺の地下の地盤を形成しているのは富士山噴火時の溶岩流が固まったもの。そのすき間や無数の小さな穴が直近の雨水だってキレイにろ過してくれるのでしょう。良いところだね三島は。
「げんべえ」ではない?
ところで、この「源兵衛川」をわたしは「げんべえがわ」と読みます。
参考までに、ウナギの名店として全国に知られる「桜家」さん近くにある「源兵衛橋」を見てみると
このように「げんべえばし」と表記されています。
ここと道路を挟んで向かい、静岡中央銀行さん脇の案内板も
このように「Genbe-Gawa」と表記されています。「げんべえ」「げんべー」ですね。
しかしこの川のことを「Genpei-Gawa(げんぺいがわ)」「Genpe-Gawa(げんぺーがわ)」と発音する人が一定数います。「be」じゃなくて「pe」です。
それが他の地域の方の「読み間違い」だったらぜんぜん気にしないのですが、わたしの知人で「げんpeいがわ・げんpeーがわ」と発音する人は「古くから地元に住んでいる人」ばかり(わたしは町なかでは12年ちょっとの新参者)。
しかもその人たちが住んでいる(住んでいた)のは加屋町、西若町、緑町、広小路町、泉町、本町、芝本町などなど、この川に親しんでいる「超地元の人ばかり」なのです。
由来は「人名」らしいけど
先ほどの源兵衛橋のたもとにある案内表示を見ると
一番上のアルファベットを見ると「Genbe」となっています。
このあたり個人的には「げんべえ(げんべー)」と読むのか「げんべい」と読むのか、それとも「げんべ」と読むかなど細部にもこだわりたいですが、まあ「穏便」に済ませましょう「音便」なだけに…とにかく読みは「be(べ)」となっています。
文中にもあるように、由来は「河川工事に深いかかわりを持った寺尾源兵衛」とされています。
まあ、「源兵衛」だったら十中八九「be」でいいと思うなあ「源兵」二文字だったら「be」と「pe」の両方アリな気もするけど…
と思ったらなんと!この表示の上にある別の表示を見てください
「Genpei(げんぺい)」白旗橋ってなってますね、うーん、どっちなんだこれ?
この三島は源頼朝旗揚げの地でもありますから「げんぺい」と聞くと「源氏と平氏」を表す「源平」という表記も連想されます。「そっちが由来だと思ってた」という人もいるでしょうし、実際「げんぺいがわ」と発音する地元のベテランのSNSを見ると「源平川」と書いていることも珍しくありません。
そんなことを考えながら桜家さんの脇を通り、源兵衛川の撮影名所のひとつである「線路の下」へ歩を進めてみると、こんな表記を見つけたんです。
「源平川」だ!もうひとつ別の角度からもどうぞ。
個人的な推測に過ぎませんが、この白い杭は、ひところ汚れた源兵衛川が今のようにキレイに蘇り、ご紹介してきた各案内表示が設置された時より前からあったと思います。
改めて「源平」と言う字を見ると「げんpeい」と読みたくなります。地元では古くから「げんpeいがわ・げんpeーがわ」と呼ばれていたんじゃないか、そう強く思わせる発見でした。
前回の「八幡」でも触れたように、地名は庶民が読み書きできない時代から「口頭による伝聞」で引き継がれたものも多く、言い間違い、聞き間違い、読み間違い、書き間違いも非常に多いと思っています。そしてそれは面白さでもあると思っています。
これからもそんな面白さを見つけてご紹介していきたいと思います。
閑話休題。源兵衛川の水源である楽寿園の小浜池は、例年ほとんど水がないことが多いです。しかしことしは水位が観測史上最高記録を更新!