第二次世界大戦、沖縄上陸当時(1945年4月1日)、波平区民約1,000人の命がハワイ帰りの故・比嘉平治氏、比嘉平三氏によって救われたシムクガマである。終戦五十周年を記念し建立する。
引用元:シムクガマ「救命洞窟之碑」
シムクガマ
シムクガマからすぐのさとうきび畑の歌碑広場
ふたつのガマを周って、亡くなった方の命を無念な思いを無駄にはしない、もう戦争犠牲者は出さない。今も苦しむ戦争遺族の方の苦しみや願いを私はこの手にバトンで渡された。
とにかく悔しい気持ちでいっぱいだった。そこに見えたのは「さとうきび畑の歌碑」の看板。迷わず立ち寄ることを決めた。
今もさとうきび畑が広がるこの土地の下には多くの亡くなった方の魂が埋もれていて、その魂を鎮めるために、「さとうきび畑」の歌は誕生しました。この歌は平和を祈る歌です。
広場にミュージックボックスがありオルゴールの音色にのってさとうきび畑が流れます。
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ
この曲の音色とこの歌詞に包まれ、悔しさに溢れた気持ちが鎮まり、自分にできることを目の前に広がるさとうきび畑を見ながら考えます。いま、ここにある平和に感謝の気持ちがあふれます。美しいこの景色、この平和が永遠に続きますように。
♪ 歌碑は、いくさのない世界をめざすために活用します。
♪ 歌碑は、こどもたちの平和な心を育むために活用します。
♪ 歌碑は、戦没者の無念の思いを後世に伝えるために活用します。
♪ 歌碑は、沖縄に点在する平和学習の場の一つとして活用します。
♪ 歌碑は、さとうきび畑の自然景観を守るために活用します。
♪ 歌碑は、作者が詩と曲に込めた平和の精神を歌い継ぐために活用します。
引用元:さとうきび畑歌碑建立実行委員会
激戦の地であったこの土地。70年後にこの地に立つ私に一体なにができるのだろう。
戦争を経験し生き残り今も沖縄で暮らす人々。たくさんの方が亡くなる姿を目の当たりにして生き残ったことへの後ろめたさや罪悪感を感じながら生きている人も、後世に語り継ごうとご高齢でありながら何十年も活動を続けている方もいる。
どちらも戦争の悲しみを背負って今もなお生活している。そして無念と悲しみを胸に亡くなった方に思いを馳せよう。いま、わたしたちに何ができるのか・・・向き合っていこう、世界大戦など二度と起こしてはならない、このバトン、必ず回す未来へ。