座り込み抗議、非暴力主義ってなに? ~行きあ旅ばっ旅~

大浦湾の海の美しさに癒やされた後は、ZAN ~ジュゴンが姿を見せるとき~の映画トークショーでプロデューサー木佐美有氏が話されていたキャンプ・シュワブを見に行くことにしました。

キャンプ・シュワブ

キャンプ・シュワブ ゲート前の座り込み

キャンプ・シュワブ(在日米軍海兵隊の基地)のゲート前に建てられた座り込みのテント村を発見。辺野古新基地座り込み抗議の現場です。

日曜日だったため座り込みはお休みでした。座り込みにお休みがあることも何の情報も知らず訪れましたが、どなたもいないからこそテント内の情報をじっくり見ることができます。

そもそも座り込みってなんなの?と疑問に思いました。インターネットにはこう書かれています。

「意思表示・抗議などの手段として、特定の場所に座り込むこと。シット-イン。」

非暴力(ひぼうりょく)とは、体制変革における理念のひとつであり、ハト派で、抑圧を受けている民衆が政治体制の変革を求めるにあたって、革命によって暴力的に支配者を倒すことではなく、粘り強く、弾圧されても決して屈せずに、言論を以って変革の必要を主張し続けることである。

引用元:非暴力主義とは - Weblio辞書

命の海を壊さないで!
ジュゴンは笑顔です。
埋め立てないで大浦湾を

非暴力コミュニケーションについて詳しく説明されているテントがありました。

暴力には大きく分けて2つに分類される
・身体的(直接) = 殴る・蹴る・殺す
・身体的以外(間接的)=人を悪く言う・無視する・嫌味を言う

間接的暴力とは?
道徳をふりかざして人を裁く
悪者は罰を与えられて当然だと考え非難、侮辱する、烙印を押す(レッテル貼り)批判比較する
→身体的暴力よりもたちが悪い

引用元:非暴力コミュニケーション NVC(Nonviolent Communication) ゲート前座り込みテント

自分と他人を比較してしまうこと、よくありますよね。私も幼き頃、父がいないことがコンプレックスでよく落ち込んでいました。みんなにパパがいるのになぜ私にはいないの?って考えてもしょうがないことを考えてはネガティブになったものです。

他人と自分を比べてうらやんだり自分を責めたり落ち込んだりするのも、それは自分への間接的暴力かもしれないと。。。ここに来て気づきました。

ただ現在の私は誰とも自分を比較したりしません。比較してもなんの意味もないし、自分は自分で他の誰でもない唯一無二の愛すべき存在だからです。

他人の芝生は青く見えるのは事実です。それでも自分と他人と比較してしまっていることを自覚し、それは自分を傷つける行為だということを認識できるのと認識できないのでは人生が違ってくると思います。

「長男のAはとても勉強ができるけど、弟のBは頭が悪くて勉強ができないのよね~」

上記のようなママ同士の愚痴をよく聞きます。これまた他者比較でレッテル貼りで非暴力なのかもしれません。

幼い頃、「お姉ちゃんは勉強ができないけど、あなたは頭が良い子だから勉強はできるはずよ」と親に言われて本当に嫌で辛かったな。。優しい姉と自分を比較して姉の評価を下げてほしくないという気持ちと、「できない」と言えず、できる子でい続けなければならないというプレッシャーで押しつぶされそうでした。「できる子」というレッテルもある意味、間接的暴力かもしれません。

そんな私も他者に対しては残酷にも比較したり、いいか悪いかで裁いてしまいます。自分自身は他者比較しないくせいに、相手は誰かと比較してしまうなんて自分勝手な生き物でしかないです。怒りの対象であっても、どんな相手も唯一無二の存在であり誰とも比較するべきではないということを忘れてはならない。

また「自分は○○だからできない」という判断も自分に対して烙印を押しつける間接的暴力なのかもしれない。「私ならできる、I can!」と自分を肯定するだけで世界は少しずつ変わる、絶対に!

間接的な暴力を受け続けるとその人はやがて暴力的に反応するようになる。間接的な暴力が燃料となって身体的な暴力に火がつく。
非難され一方的に決めつけられるほど自己防衛的にそして攻撃的になる

怒りにかられて相手を非難するよりも、怒りの『核心』を心の底からじゅうぶんに表現した方が、はるかに強力で効果的。

引用元:間接的暴力が何を生みだすのか ゲート前座り込みテント

ここに来たのは偶然なんかじゃない!と思える情報が満載です。

喜怒哀楽の激しい自分に対して有益なメッセージがいっぱい。よく言えば感受性が豊かでエモーションを大切にして生きてきたつもりでしたが、この辺野古の座り込みテントで感情との向き合い方や怒りを伝えるための技術を教えてもらえるなんて!行きあ旅ばっ旅が学旅になっとる!!!

「怒りの核心を心の底からじゅうぶんに表現した方が、はるかに強力で効果的」

上記の一文はストレートに効きました。そだね、なぜ怒りを覚えるのか、モヤモヤしたまま相手にぶつけるのではなく、その真因は本当はここ(自分の心)にあるのだから、しっかり核心(ニーズ)と向き合って伝えて行こう。そう思えた瞬間、とても貴重な体験です。

相手のことを「悪い・貪欲・無責任・嘘つき・騙す・環境を破壊している・人の命よりも利益を重視している」などと一方的に決めつけ、分析し、それで頭がいっぱいになっているときには、相手も同様にこちらに対し否定的になり、こちらが必要としている事に相手が関心を持つ事はまず期待できない。

「共感」
・共感には問題を解決に導く「治癒力」がある
・共感は「私たちの世界を新しい方法でとらえ直し、先に進む」ことを可能にしてくれる

引用元:相手とわたしを超える共感力 座り込みテント

共感力と言ったらミラーニューロンです。2015年に宇宙が私に教えてくれた言葉。ここに来て感じたことが宇宙の声とつなっがっているような気がする。点と点がつながったような感じ。ミラーニューロンはまだ科学では証明できていないけれど、きっと世界を変えるために必要な脳機能であるはずです。

・共感は「私たちの世界を新しい方法でとらえ直し、先に進む」ことを可能にしてくれる

これは本当に大きくうなずける内容。

相手を知ろうとする、相手がなにに関心があるか感じてみる、相手の人間性を受け入れて少しずつ共感できる範囲を広げるような行動が世の中に増えれば、相互理解が生まれ平和な世界も広がると思います。

人を非難したり罰したりすることは、怒りの表現としては表面的なものである。怒りをじゅうぶんに表現したいと願うなら、第1のステップは「自分の怒りを相手のせいにしないこと。」その代わりに、「自分の感情と自分が必要としていることを伝える」ことで相手を悪いと決めつけたり、非難したり、罰を与えたりするよりも、自分の必要としていることが満たされる可能性がはるかに高くなる。

引用元:まとめ ゲート前座り込みテント

✕ 表面的な怒り
「なんでいつもいつも牛乳こぼすの?いーかげんにして!ちゃんと気をつけなさい!!!」

○ 感情とセットの怒り
「牛乳こぼすと臭くて耐えられない。こぼして拭くのも大変だし、ふいた雑巾もめっちゃ臭くて洗濯に時間もかかって正直時間がかかって疲れるしストレスだわ、コップをもっと奥に置いてこぼさないようにして」

そうは言っても、子育てっていいかげんにして~~~(怒)と叫びたくなることばかりやらかしてくれるのよね・・・。