母の日の夕暮れ、黄昏の蒼い空気の中で花束が風に震えていた。
かさ上げと宅地造成と住宅建設、そして道路工事が同時進行する陸前高田市。市街地のすべてを覆うほどの大規模な埋め立てによって、いまや津波前のグラウンドレベルはほとんどなくなってしまったが、以前のメインストリートのひとつが、今年の春、再び通れるようになった。かつてキャピタルホテル1000があった海沿いと、町の中心部のやや東側を通って高台とを南北に結ぶ道路だ。新しい中心市街地と国道沿いのかさ上げの間に残された、わずか200メートルほどではあるが、津波の前に町の人たちが行き来していたその道が、7年を経てまた歩けるようになったのだ。地元の友人によると、この道は「スズラン通り」と呼ばれ、道の両側にはヤマボウシの木が植えられていたのだそうだ。
花束があったのはそんな場所。スズラン通りに覆い被さってくるようなかさ上げの土の法面の下だった。
カーネーションの花束だった。
この場所にカーネーションを供えた人のことを思った。
スズラン通りに手向けられたカーネーションの色は赤。
赤いカーネーションは「母への愛」という花言葉を担っている。
ただ、カーネーションは色によって花言葉が異なると聞いたことがある。たとえば白いカーネーションは、「私の愛は生きています」という強いメッセージなのだとか。だから白いカーネーションは亡くなった母親のお墓や仏壇に供えることも多いのだそうだ。
スズラン通りに手向けられたカーネーションの色は赤。
この場所にカーネーションを供えた人のことを思った。
母の日の夕暮れ、黄昏の蒼い空気の中で花束が風に震えていた。