アメリカまで海続きの太平洋から、日本列島に深く切れ込んだ湾の奥に大船渡のまちはあります。水深があって奥行きもあるリアス式海岸のこの地は、大昔から良港としてにぎわってきました。
大船渡は海の幸が育んできたまちです。さらにリアス式海岸を生み出した古い地層からは貴重な化石とともにたくさんの石灰も産出。セメントなど工業のまちとしても栄えてきました。大船渡市の中心部には、その名もずばり「盛(さかり)」という地域がありますが、その繁栄は地形と海によるものです。ところが、そんな大船渡にめぐみをもたらしてきた海は、津波の惨禍を引き入れてしまうものでもあったのです。明治の三陸大津波でも東日本大震災の津波でも、最大波高を記録したのは大船渡市でした。
港のシンボルとして建設されたサン・アンドレス公園は東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。公園に植えられた木々の中には、津波に負けずに生き続けているものがある一方、枯死してしてまって二度と芽吹かないものも見られます。それでも公園の遠景に見える白い魚市場の建物は、6年前の震災時に建設途中で津波に襲われた後、もう一度再建されたものです。その場所に行くと、展望デッキから、大船渡の紺青の海を背に飛び交うカモメの姿がきれいですよ。
私たちは立て直します。この海とこの土地を踏みしめて、私たちの大船渡を。見てほしいのは私たちの強さです。