絆の「つるし雛」バスツアー

「2月26日午前9時、陸前高田市役所前で待ち合わせね」と、遠野のつるし雛を観に行くツアーに誘ってもらった。やってきたマイクロバスに乗り込むと、以前に仮設住宅でのイベントで会った懐かしい顔がたくさんだった。

バスに乗り込んで、皆さんのおしゃべりを聞きながらようやく理解できた、このツアーの成り立ちや意味については、後ほどお知らせするということで、まずは会場の様子をご紹介。

つるし雛の展覧会とは言うものの、会場にはかわいらしいマスコットもいっぱい。

作品には手を触れないで下さいと注意書きがあるのだが、見ているとつい触りたくなってしまう。

会場に並ぶつるし雛は、遠野市松崎地区「ふきのとうの会」の皆さんが先生役になって、陸前高田や釜石、遠野市内の仮設住宅などの入居者たちが作成したもの。。作品に手を触れないでと言われても、つい手が出てしまう。会場は明るくあたたかい春のような雰囲気に包まれた。

ふきのとうの会の活動は、震災後、まだ仮設住宅に集会場すらなかった頃から続いている。当初は仮設住宅の横にテントを張り、神戸の人たちから伝えられた「まけないぞう」をつくったのだとか。それが被災した陸前高田に手芸が広まっていく契機のひとつになった。

「まけないぞう」はタオルを使ったマスコット。阪神淡路大震災の時に、仮設住宅に暮らす人たちを応援するために始まった手芸活動から生まれたものだ。

それが東日本大震災の後、東北に伝えられた。たくさんの人たちの手を経て。

陸前高田の仮設住宅での手芸活動は、まけないぞうから始まって、つるし雛へと自然に発展していった。以前からふきのとうの会はつるし雛をつくっていたからだ。ふきのとうの会はほぼ毎月被災地の仮設住宅を訪れて、つるし雛のお教室を開いて、縁起物の野菜や食べ物、干支、小さな人形、さらには土瓶といったパーツを毎月つくってきた。つるし雛の展覧会はそんな活動の現時点での集大成なのだ。

つるし雛のパーツはそれぞれ1つひとつが小さなかわいいマスコットでもある。つるし雛づくりに参加していた仮設住宅の人たちの間で、手作りの手芸品を日常的につくる人が増えていったのも当然だろう。

手芸をしている間は時間を忘れることができる。辛い思いも忘れて没頭できる。そして、自分の手でつくった作品を人に見せることで、「あら、それかわいいわね」とか「今度つくり方を教えてよ」といった会話が生まれる。つながりが広がっていく。

ボランティアに来てくれた人たちにプレゼントしたり、仲間と交換し合ったり。小さな手芸品を通じて、被災してばらばらの仮設住宅に暮らすことになった人たちの間にコミュニティが生まれた。知らない人同士がいきなり話をするのは難しいかもしれないが、手芸が間を取り持つことで人と人がやわらく、あたたかくつながっていくようになった。

この日のバスツアーは、ふきのとうの会のみなさんが陸前高田の仮設住宅で知り合った方たちを遠野にご招待したもの。社会福祉協議会や博物館など遠野の人たちの協力があって実現した年に一度、みんなが楽しみにしていた小旅行だったのだ。

じっくりと展示を見て回った後には、別室で懇親会も開かれた。懇親会には日本舞踊の舞いも登場して座は盛り上がった。広い和室が拍手や笑顔でいっぱいになる。帰り際、遠野の人たちと陸前高田の人たちは何度も何度も握手して、来年またねと約束を交わしていた。

「わたしの命がある限り、そして毎月運転手を務めてくれる主人が元気である限り、この活動は続けますから」ふきのとうの会の代表は、参加者ひとりひとりにきりりとした言葉で伝えていた。

手芸が人と人をつなぐものであることを、ふきのとうの会は陸前高田の仮設住宅に伝えてくれた。そして陸前高田のおかあさんたちはいま、手芸をとおして人と人の輪を大きく広げていこうとしている。中心になって活動している人の中には、震災以前には手芸なんてやったことなかったという人も少なくない。

「絆」という言葉は震災後、ずいぶん使い古された印象もあるが、けっして廃れてしまったわけではない。絆はいまも人と人をしっかりと結びつけている。被災した地域の中で、訪れてくれる人たちとの間で。東北と神戸をつないだ「まけないぞう」のように、日本中をつなぐ絆はいまもしっかり生きている。