気仙沼の土ぼこり。新たなまちづくりに続く道

かさ上げ工事で道が変わって、付け替えの臨時の迂回路だらけの気仙沼中心部。通れるルートも減って渋滞が増えた。市場から南気仙沼方面へは、かさ上げ工事現場の中を大きく回り道。大船渡線が走っていたガードをくぐって、浜街道の方へ……、と思って走っていると「あれっ?」

何かヘン。

大雨の時には冠水が心配なくらいのガードだったのが、線路が断ち切られ、道路がかさ上げされていた。(写真は西から東に撮っている)

大船渡線の気仙沼・盛間の線路による復旧が事実上なくなり、仮設だったはずのBRTが実質的に「本設」ということになったからなのか……

この鉄道ガードの名は「中谷地こ道橋」。昭和41年に建設着手、同年12月31日に竣工した鉄道橋であることが銘版に記されていた。半世紀の歴史、と一言でいうがそれは、約50年の間この場所にあった、線路の下を道路がくぐり抜ける光景がなくなり、おそらく二度と再び目にすることがないということだ。この鉄道ガードを当たり前に目にしてきた人たちの日常もなくなってしまったということだ。

そんなふうに思うのは感傷でしかないのかもしれない。中谷地こ道橋の周辺ではかさ上げ工事と並行して、災害公営住宅の建設も急ピッチで進む。周囲を見渡すと、すでに入居が進んだ建物、ほぼ完成した建物、鉄筋の建ち上げ真っ最中のものなど、さまざまな段階の災害公営住宅の姿を目にすることが出来る。

建物の数の何十倍もの重機が動き回る。そしてさらに十数倍の建設車両が仮設の道路を往来する。

気仙沼の町に行くなら、これからしばらくの間はマスクは欠かせないだろう。クルマが土ぼこりで汚れてしまうことも、もちろん覚悟しておく必要がある。

消えて行くものがある一方で、新しい風景が作り出され続けている。

「復興に向けて全力で取り組んでいます」

建設業者が案内板に記す言葉。新しい町を誕生させることが復興なのだとしたら、そのハードの部分が急ピッチで進められているのは間違いない。

土ぼこりだらけの町に、不思議な活気のようなものが感じられるのも間違いない。形作られた新しい町で、ひとの生活がどのように再建されていくのか、美しく作り替えられる町の向こうに隠れて、見えにくくなっていくことも、おそらく間違いないのだが。