日本で「終戦記念日」というと8月15日ですが、この日は連合国が突き付けてきたポツダム宣言を日本が受諾した、ということを日本国民(軍を含む)に発表した日です。
連合国に対して日本がポツダム宣言を受諾したのは前日の8月14日。そしてポツダム宣言に基づく降伏文書に日本が正式に調印して、第二次世界大戦が終結したのは8月15日から2週間以上後の9月2日のことでした。
9月2日、日曜日、午前9時8分
その日は日曜日でした。東京湾横浜沖、中ノ瀬水道に停泊している戦艦ミズーリには早朝から連合国軍の軍幹部や政府代表が乗艦していきました。連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥、アメリカ合衆国代表を兼ねたアメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ海軍元帥、中華民国代表徐永昌、イギリス代表ブルース・フレーザー、ソビエト連邦代表クズマ・デレヴャーンコ 、その他オランダ 、オーストラリア 、カナダ、フランス、ニュージーランド代表の面々。
日本側の政府全権代表・重光葵外務大臣と大本営(陸海軍統括)全権代表梅津美治郎参謀総長と随員9名は午前9時前にミズーリに乗艦。
東京湾中ノ瀬水道付近
戦艦ミズーリはアメリカ海軍の新鋭艦アイオワ級3番艦。日本なら大和・武蔵にあたる巨大戦艦です。ミズーリの近くには英海軍のキング・ジョージ五世(プリンス・オブ・ウエールズの姉妹艦)など、米英の海軍の威容を示す艦隊が並んでいました。降伏調印式典の会場が設えられたのは戦艦ミズーリの前甲板、第二砲塔右舷。ミズーリの主砲のすべては最大仰角に誇示され、降伏セレモニーの会場にはペリー提督が日本に来航した際の星条旗が、わざわざ博物館から運ばれて飾られていました。
日本側の全権が乗艦すると、ほどなく降伏調印式典が開始されました。マッカーサー元帥はマイクを通してスピーチを始めます。その様子は、世界に向けてラジオ放送されたとのこと。どこかに音源が残っているならぜひ聞いてみたいと思います。
降伏文書の画像を見ると、日本代表が降伏のサインしたのは9時4分。連合国が日本の降伏を受け入れたのは9時8分だったことが分かります。降伏文書というものが、このような書式によるものだというのも驚きですが、それはさておきこの瞬間、ドイツのポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦、さらには満州事変から続いた十五年戦争が終結したのです。
降伏調印式典が行われている米英艦隊の上空には、空母機動部隊から発進した艦載機の大群がデモンストレーション飛行を行っていました。100機どころではない、数えきれない戦闘機や爆撃機が飛来する下で、降伏文書は調印されたのです。
日本では8月15日を「終戦」の日、つまり戦争が終わった日として記念していますが、1945年夏の現実は、戦争が終わったのではなく、戦争に敗れ、すべての日本国民ひとりひとりが世界に対して「降伏」したということでした。(事実、枢軸国側で戦い続けていたのは日本だけだったのだから)
日本は連合国に屈したのです。ミズーリ艦上の式典に、戦争の初期にシンガポールで日本軍に降伏したイギリスのパーシバル将軍が臨席したのも、戦争の結末が意味するものを象徴しているように思えます。
降伏文書を調印している上空を埋め尽くすアメリカの航空機。それは、日本が完膚なきまでに屈服させられたことを如実に示すものです。降伏に至るまでの間に、何百万人もの人々が犠牲になったことの隠喩とも言えるでしょう。
8月15日の終戦の日とは別に、9月2日を敗戦の日として記憶し続けたいと思います。もちろん、戦争の悲惨を語り継ぎ、二度と戦争の災禍を繰り返さないために。