さらに驚き「新しい歴史教科書」

私の記憶が正しければ、たしかに書籍名には「新しい」という形容詞が冠されているのだが、この教科書の中身は一体なんとしたことだろう。たとえば、前の記事にて紹介した「尋常小学校國史付図 第五学年用」。そこには古事記や日本書紀の神話の中での神様の活躍や、1400年近くも続く「大和時代=皇威振興時代」が小学生のための歴史資料のファクトとして描かれていた。

尋常小学校國史付図 第五学年用

これは「尋常小学校」の副読本というのであるから、昭和15年より以前、つまり75年以上昔の教科書である。(16年4月以降、尋常小学校は国民学校となった)

そして、こなた「新しい歴史教科書をつくる会」がつくった教科書。(平和のための戦争展で撮影。照明の関係で手暗がりになっている)

新しい歴史教科書(市販本)

写真では見えにくいので一部紹介すると、このページのテーマは神話によって描かれた国の始まりとのこと。右ページにはイザナギノミコト・イザナミノミコトからアマテラスオオミカミ、スサノオノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)までが系図入りのイラストで示されている。天岩戸伝説の絵も掲載されている。驚いたことには、日本サッカー協会のシンボルマークである3本足の「八咫烏(ヤタガラス)」が、神武伝説ゆかりのカラスとの紹介まである。学校の授業でサッカーのシンボルマークを目にした子供たちが、神話の物語と歴史を混同しないことを祈るばかりだ。

神話を物語として教えるのであれば国語の教科書で事足りる。実際に自分の頃には高校の古文で古事記を習った。物語の内容は絵本やなんかで知っていたが、古文として読んでとても興味深かったのを覚えている。しかし、歴史の教科書で、しかも掻い摘んで示すことにどれほどの意味があるの言うのだろうか。

平和のための戦争展の会場で聞いたエピソード

戦争展のスタッフの方に聞いた話だが、彼女が言うには「中学校の教科書なのね、じゃあ私には関係ないわ。だってうちの子まだ4年生だから」というお母さんがいたのだそうだ。スタッフの彼女が「あら、教科書の選定は4年に一度なのよ」と教えたら、そのお母さんの顔つきが変わった。別に指折り数える必要もない。来年から4年間使われるということは、今年4年生のお子さんがこの教科書を使う可能性だってあるのだ。

そのお母さんが慌てて見ていたのは、戦争や日本国憲法についての記載だったという。

若干横道に逸れるが、この教科書を作った「つくる会」のホームページを紹介しよう。そこにはこんな文章が記されている。(念のため平成27年8月現在のページである)

これが「つくる会」の教科書です!

 平成27年に文部科学省の検定に合格し、平成28年から全国各地の中学校で使用されている『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』の特色を紹介させていただきます。(「史」110号〈平成27年5月号〉より)

引用元:新しい歴史教科書をつくる会|これが「つくる会」の歴史・公民教科書です

「平成28年から全国各地の中学校で使用されている」と過去形で書くことに、何か意図があるのだろうか。未だ来たらざる未来もすでに歴史ということなのか?

太平洋戦争は「自存自衛」のための戦争で、「大東亜戦争」と名づけられた

新しい歴史教科書(市販本)
日本は米英に宣戦布告し、この戦争は「自存自衛」のための戦争であると宣言した。また、この戦争を「大東亜戦争」と命名した。
(中略)
対米英開戦をニュースで知った日本国民の多くは、その後次々と伝えられる戦果に歓喜した。他方アメリカ政府は、日本の交渉打ち切りの通知が真珠湾攻撃よりも遅れたのは卑劣な「だまし討ち」であると自国民に宣伝した。

引用元:新しい歴史教科書(市販本)

「大東亜戦争とアジアの独立」というコラムには、こんな記載も。

アジアの解放をかかげた日本は敗れたが
アジアは植民地から解放され、独立を達成した。

大東亜戦争の影響

日本は自存を目的として、戦争が始まると直ちに資源獲得のために、当時オランダやイギリスの植民地になっていた東南アジアに軍を進めました。

当時、アジア諸国は白人の欧米諸国の植民地とされ、その支配に苦しんでいました。そのため、大東亜戦争の初期の日本軍のめざましい勝利は、アジアの人々に独立への希望を抱かせました。

しかし、日本軍が進軍した東南アジア諸国では激しい戦闘が行われ、現地の人々に多大な犠牲を強いることになりました。とくに、フィリピンでは、アメリカ軍と激戦となり、その戦闘に巻きこまれ多くの犠牲者が出ました。また、中国でも、日本軍によって、多くの犠牲者が出ました。

引用元:新しい歴史教科書(市販本)

米国製の日本国憲法を受け入れたのは天皇制を守るためだった?

GHQは、日本の国家体制をつくりかえるため大日本帝国憲法の改正を求めた。日本側は、大正期に「憲政の常道」の慣行があり、明治憲法に多少の修正をほどこすだけで求められる民主化は可能だと考えていた。しかし、GHQは1946(昭和21)年2月、約1週間でみずから作成した英文の憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強く迫った。

日本政府は、交戦権の否定などをふくむ草案に衝撃を受けたが、拒否した場合、天皇の地位が存続できなくなることを恐れた。そこで政府はやむを得ずこれを受け入れ、帝国議会の審議を経て、11月3日、日本国憲法が交付された。

引用元:新しい歴史教科書(市販本)

内容をどのように判断するかは、それぞれの人の考えによるだろう。フランス語で歴史と物語がともに「イストワール:histoire」という言葉で表されるように、歴史は解釈する人によってさまざまな側面を見せるものだ。しかし、それとは別に、子供たちが歴史を学ぶ教科書としてはどのようなものが相応しいかという問題もある。

社会や文化の根っこを学ぶ歴史の教科書ととして、極端な主義主張に偏らないものが望ましいのは言うまでもない。さらに、単なる暗記科目としてではなく、なぜそのようなことが起きたのか、その出来事が現在とどのように結びついているのかといった問題意識を喚起するものであることが極めて重要だ。

教科書の選定が4年に一度と聞いたお母さんが、そのたったの一言で問題意識に目覚めて教科書の内容をチェックしたというエピソードは大きな福音だ。人はあれこれ上から目線で教えられると嫌な気分になりがちだが、たったの一言でもスィッチが入れば自発的に動き出す。すでに教科書選定が決した自治体もあるらしいが、来年からの4年間、その自治体の公立中学に通う子供たちが、批判精神と自立的に考える姿勢を育んでくれることを大いに期待する。

もちろんこれが逆説的なエールであることは言うまでもない。