桜島発:火山噴火と科学という名の「迷信」

桜島観光ポータルサイト「みんなの桜島」の新着情報に、「【解説】なんで3km圏外も避難地域になってるの?と思ったアナタへ」という記事を見つけた。いい記事だ。噴火による噴石は地形に関係なく空を飛んでくるから火口からの距離で対策を考えられるが、火砕流は地形によって到達距離が違うからという解説だった。この記事に感銘を受けたところから始めて、箱根火山や桜島の大正噴火、そして「科学不信の碑」や寺田寅彦について渡り歩いてみた。

噴火レベルは「科学的に」設定

噴火警戒レベル3(入山規制)が続く箱根を8月17日に訪問した太田昭宏国土交通相に対して、箱根町の山口昇士町長は観光で成り立っている箱根町は疲弊しているので、警戒レベルを引き下げを要望したと伝えられた。

これに対して、気象庁を管轄する太田大臣は、政治判断で噴火警戒レベルを動かすのは適切ではなく、科学的な判断によるべきだと応えたという。

重い教訓「科学を信頼せずに逃げろ!」

まるで火山の活動期に入ったかに思える日本列島では、箱根山の他にも口永良部島(噴火警戒レベル5)、小笠原諸島の西之島(噴火警報)、阿蘇山(噴火警戒レベル2)など14もの火山でレベル2以上の噴火警報が出されている。

なかでも現在、大規模な噴火が危ぶまれている鹿児島県の桜島(噴火警戒レベル4)に「科学不信の碑」が建てられているのは有名な話だ。鹿児島湾に浮かぶ島だった桜島が大隅半島と陸続きになるほどの大噴火だった大正噴火。その噴火の予兆が数多く現れ、住民が避難しようとする中で、「噴火はしない」との測候所の言葉を信じ、住民に避難しないように伝えた当時の東桜島村長。彼は大きな被害を出したことを悔やみ、「測候所を信用せず、危険が迫った時には自分の判断ですぐに逃げろ」という記念碑を建てたいと切望していたが、念願を果たさぬうちに逝去。遺志を継いだ次の村長によって建立されたという記念碑だ。(下のリンクに写真と本文あり)

碑文には「住民は理論(科学)を信頼せず、異変を認知したら避難の用意がもっとも肝要」と、測候所が発した科学的見解を信じたせいで多くの村民を死なせてしまった当時の村長の悔恨の念がにじむ。「死」の重さを痛切に感じるからこそ、国家が進めていた科学的な観測に対しても異を唱えることができたようにも受け取れる。

これに対して箱根町の町長の対応がご都合主義に見えてしまうのは自分ばかりではないだろう。日本有数の観光地、箱根の安全や人命に対するスタンスの甘さが露呈してしまって、噴火の「風評被害」よりも安全軽視姿勢によるダメージの方が深刻なのではないかと心配になる。

科学という名の迷信

科学に対する見方という点でも、箱根町と東桜島村の100年を隔てて鮮やかな対照を示している。

箱根町は町の経済のために警戒レベルの引き下げを要望し、大臣からは「科学」の名のもとにやんわりと拒否された。(今後の気象庁の対応は不明だが)

100年前の東桜島村は、科学を信じて多くの犠牲者を出したことから、科学を信じ過ぎるなと警鐘を鳴らした。

100年前に比べれば火山の研究も進歩したことは間違いないだろう。しかし、火山がいつ噴火するかを正確に予知することや、火山活動がいつまで続くかを断言することが現在の科学をもってしてもほぼ不可能なことは明らかだ。雲仙普賢岳、避難が長期にわたった三宅島、昨年の御嶽山噴火。自然は人知がはるかに及ばぬところで活動していると言わざるをえない。

火山の防災を研究している科学者たちもまた、「地中のマグマ溜まりがどうなっているのか、実際にその場まで下りていって見てきた人はいないのだ」と、火山研究の難しさを語る。

論点は、科学は火山噴火を解明できるのかどうか、ということではなく、人知を超えている火山活動に対して科学はどのように臨むのかという話になる。となると、「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったと伝えられる寺田寅彦(明治・大正・昭和の物理学者で夏目漱石の弟子。「吾輩は猫である」の水島寒月のモデルとされる。地震研究所の研究員も務めた)が「化け物の進化」というエッセーに記した一文を引用しないわけにはいかない。

伝聞するところによると現代物理学の第一人者であるデンマークのニエルス・ボーアは現代物理学の根本に横たわるある矛盾を論じた際に、この矛盾を解きうるまでにわれわれ人間の頭はまだ進んでいないだろうという意味の事を言ったそうである。 この尊敬すべき大家の謙遜な言葉は今の科学で何事でもわかるはずだと考えるような迷信者に対する箴言である

引用元:寺田寅彦 化け物の進化 | 青空文庫

「今の科学で何事でもわかるはず」と思うことこそが「迷信」だと喝破している。さらに引用する。科学者のみならず多くの日本人が皮相的な科学観に毒されている危険性を説いている部分だ。

不幸にして科学の中等教科書は往々にしてそれ自身の本来の目的を裏切って被教育者の中に芽ばえつつある科学者の胚芽を殺す場合がありはしないかと思われる。 実は非常に不可思議で、だれにもほんとうにはわからない事をきわめてわかり切った平凡な事のようにあまりに簡単に説明して、それでそれ以上にはなんの疑問もないかのようにすっかり安心させてしまうような傾きがありはしないか。

引用元:寺田寅彦 化け物の進化 | 青空文庫

我々は、ただ教科書の言葉を信じればいいといった類の科学教育に自分自身が毒されているのではないか、疑ってかかる必要があるだろう。

風評被害や破局的噴火といったセンセーショナルな取り上げを続けるマスコミが奉じている「科学」も、箱根での大臣の発言にあった「科学的」という言葉も同じく、「自分は知らないが、誰か専門的な科学者は知っているだろう」というところで思考停止しているように見えないか。

桜島観光ポータルサイトで見つけた記事

冒頭で取り上げた桜島観光ポータルサイト「みんなの桜島」に戻ってみる。桜島もまた観光が大きな産業だ。ポータルサイトには溶岩トレッキングやシーカヤック、海中温泉探検などジオパーク的な切り口による案内や写真がたくさん登場して、とても好ましく思える。いいページなのであらためてリンク。

しかし、新着情報から別の記事「【解説】桜島はこれからどうなるの?と思っているあなたへ」を読んで、「ブルータスおまえもか!」な気分になってしまった。

つまり、いつもよりちょっと大きめの噴火がおきて、噴石や火砕流が火口から3kmくらいまでは届くかもしれないので注意してくださいってことです。

どうしても心配な人は火口から4km以上離れておけば大丈夫だと思います。

引用元:【解説】桜島はこれからどうなるの?と思っているあなたへ - みんなの桜島

こうあってほしいという希望的観測だけで数字まで示してしまった……。楽譜の反復記号みたいに、「この記事の3段目に戻る」という記号を付けたい気分だ。「da capo」でもいいけど……。
科学と迷信の間の溝はかくも深い。

エンドレスのリフレインを断ち切る言葉は、鹿児島フィールドミュージアムの「櫻島爆發記念碑(東桜島小学校)」の碑文に刻まれていた。科学への不信に前後する部分だ。

意訳すると、「本島の爆発は古来から歴史に照らしてみれば、今後もまた免れることが出来ないのは必然だ。住民は平素から勤勉に努めて、いつ何時、噴火災害に直面することがあっても、路頭に迷うことがないという覚悟がなければならない。備えこそが大切だということを、ここに碑を建てて記念にする」。

鹿児島も箱根も阿蘇も有珠山も、日本中の多くの火山は火山ゆえの恩恵に浴してきた。しかし、火山に噴火は付きものだ。いつかは災害があると心得て、その時に路頭に迷うことのないような備えをする他に、災害地生きていく道はない。

ここまで読んで下さった方ならお分かりだろう。これは火山地方に暮らす人たちだけへの警告ではない。災害が多発するこの国全体に共通する、100年前から届けられたメッセージにほかならない。

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