会田誠が現代を代表するいかに素晴らしい美術家であるかはしばらく措くとして――。
「現代美術館」と看板を掲げている東京都立の美術館から、会田誠さんが彼の妻・岡田裕子さんと息子・会田寅次郎さんの三人によるユニット「会田家」として、同館の展覧会「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」に出展した作品の撤去が求められているそうです。
撤去要請の対象とされたのは、ユニット3人による共同制作「檄」と、会田誠さんが昨年作った「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」というビデオ作品の2点。
朝日新聞などが伝えて波紋を呼んでいるこの事件について、会田誠さんの発言を通して考えてみたいと思います。ただその前に、「美術館で政治的主張を行うのは公共の場に相応しくない」という意見が先走っているようですので、当の東京都現代美術館がどのような美術館であるのか、東京都現代美術館が自らホームページに公開している「MOTについて」を引用させていただきます。(MOTとは東京都現代美術館が自ら名乗る略称。美術館自体の英文表記はMuseum of Contemporary Art Tokyoなのですが…)
「常に動き続けるコンテポラリー・アートを肌で感じることのできるスペース」とのことですが…
MOTについて
東京都現代美術館は、現代美術の振興を図り芸術文化の基盤を充実させることを目的として1995年3月に開館いたしました。
約4,800点の収蔵作品を活かして、現代美術の流れを展望できる常設展示や大規模な国際展をはじめとする特色ある企画展示など、絵画、彫刻、ファッション、建築、デザイン等幅広く現代美術に関する展覧会を開催しています。
また、美術関係図書約100,000冊を揃えた美術図書室を備え、美術に関する情報提供、教育普及を目的としたワークショップや各種講座や講演会等の美術を広める活動を行っています。
常に動き続けるコンテポラリー・アートを肌で感じることのできるスペースです。
基本方針
「現代」と「美術」を結ぶ「開かれた美術館」を実現するために
1|「現代」と「美術」を結ぶ、魅力溢れるメッセージを発信する。
高いクォリティの追及と新たな展示手法への挑戦
収集作品・美術資料の積極的な公開・情報提供などによる発信
2|「現代」を問う「美術」への、鑑賞者の裾野を広げる。
鑑賞力を高める積極的な教育普及活動
話題性の高い展示企画、親近性の高いテーマ設定の工夫など多角的な取り組み
3|「現代」と「美術」を結ぶ、創造の担い手を育む。
新しいアートを将来にわたって担う新進・若手アーティストの発掘・支援
常に動き続けるコンテポラリー・アートを肌で感じることができるスペースであり、なおかつ「現代」と「美術」を結ぶ「開かれた美術館」。その場所で、作品の撤去要請がどのように行われたのか、作家自身による投稿を見てみましょう。
「ギリギリいっぱいのストライク」を投げたつもり
会田誠 @makotoaida 7月25日
今回の件。美術館で展示不可作品があるのは当然。展覧会のテーマから著しく外れてもアウト。それは承知の上で、僕は「外れるギリギリいっぱいのストライク」を投げたつもり。審判からボールと言われたので抗議した。そこはプロの意地がある。
ギリギリいっぱいのストライクがどんな作品なのか、会田さんの投稿から画像を引用して紹介させていただきます。
会田さんは自身による投稿に次のように書いています。
この作品には全体的にユーモアが施されています。「檄」と大書された墨汁がほとばしるタイトルに反して、文章の内容は全体的には穏健なものです。特に自衛隊によるクーデターを呼びかけた三島由紀夫の「檄」に比べれば、脱力感漂うヘナチョコなものになっています。そういう「竜頭蛇尾」的なユーモア構造が全体に仕掛けられています。
「檄」なんて言葉に続けて墨書きされた文章が、どれだけ過激、あるいは竜頭蛇尾なものなのか、ぜひ実際に読んでいただきたいのです。画像を拡大したら、じゅうぶんに読み取れます。(一部を下に書き出します)
もっと教師を増やせ。40人学級に戻すとかふざけんな。先進国は25人教室がスタンダードだろ。少子化なのに。(中略)もっとゆっくり弁当食わせろ。十分で食えって軍隊かよ。(中略)特別支援教育がただの隔離政策みたいになってる。あの教室はまるでアルカトラズ。みんな同じように行動させられる。できない人間は目の前から消される。従順人間を作る内申書というクソ制度。いつまで富国強兵殖産興業のノリなんだ。素直な組織人間作って国が勝てる時代はとっくに終わってる。多様性の時代に決まってるだろ。個人の幸福を減らし、全体の国力も減らしてやがる。(中略)中学から道徳追いだし哲学教えろ。美術が平均週一以下だと? バカにすんな。テメエら自身がバカになってるだろ。受験テクだけでT大行って、人生安全運転で官僚コースか。そんな奴らに舵とられるから日本は小手先の愚策連発でジリ貧コースなんだよ。(後略)
引用元:「檄 文部科学省に物申す」会田家より
たしかに特段、過激な意見が書き連ねられているわけではありません。ごく普通にある不平不満の「ひとつのサンプル」というくらいのものでしょう。
そもそも、美術作品について作家自身が説明しなければならない状況になってしまうというのは不本意? と思う人もあるかもしれませんが、会田さんは絵や彫刻だけではなく小説や漫画、さらには美術雑誌のおまけのエコバックまで表現手法として使い倒す人だから、この投稿も会田さんの作品のひとつなのだと思います。
一見過激に見える外見の中に、世の中のどこにでもあるような「一家庭における一サンプル」を書き認める。そこには、
「個々人が持っている不平不満は、専門家でない一般庶民でも、子供であっても、誰憚ることなく表明できるべきである」というのは、民主主義の「原理原則」「理想」です。簡単に言えば「我慢しなくたっていい」「声を押し殺さなくていい」——その基本的な人生態度を、僕は子供たちにまずは伝えたいと思いました。その態度を少し大袈裟に、少しユーモラスに、そしてシンボリックなビジュアルとして示そうとしたのが、この「檄」と名付けられた物体です。
という意図は込められているようです。しかし、会田さんの美術家としての真骨頂は次の言葉に示されています。
またこの「檄」は、そのような「理想」が内包する矛盾も意図的に示しています。誰もがこの現代美術館のような、天井高6メートルの空間に垂れ幕を掲げられる機会が与えられるわけではありませんから。みんながそれをしたらこの世は垂れ幕だらけになってしまいますが、その笑ってしまうような光景を幻視したうえで、社会とは何かを考えるのも良いことだと思います。
どこにでもありそうな、ある意味健全な不平不満が書かれた6メートルの垂れ幕が、世の中じゅうに垂れ下げられている光景――。たしかに見てみたいと思いました。見てみたいと思った瞬間に、心の中ではそんな世の中を「幻視」してしまったのだと思いました。大上段に構えた言い方をするならば、ここにアートの力があるのです。
さらに会田さんは続けます。
けして美術家ではない一般中学生である息子の参加を要請した上で、「ここ(=美術館)は誰のもの?」という難しい問いを投げかけた、担当キュレーター藪前氏&キョンファ氏に対する、僕なりの反応の一つが「檄」でした。民主主義や公共性というものは、突き詰めて考えたらとても難しいものです。不公平にもアピール度が突出した「一家庭の意見」のアイロニカルな姿を見て、たとえ子供であっても直感的に何かを考え始めてくれないだろうか……と、僕はアーチストとしてその跳躍性に賭けたいと思いました。
この「檄」という作品をアートとしてとらえることのできない「心の貧困」はいったいどうしたものでしょう。前の方に引用した「MOTについて」をもう一度読んでいただけたらと思います。その上で、会田さんによる投稿の終わりの方に記されたことも紹介しないわけにはいきません。それは、「閲覧注意」とでも記したくなるほどショッキングな現実です。
僕は会場で公開制作を続けていて、観客の暖かい反応に接してきたので、そのクレームの話と自分の実感のギャップが気になり、ふと「何件のクレームが来てるんですか?」と聞きました。返答は「友の会会員が一名」というものでした。僕は一瞬耳を疑いました。てっきりたくさんのクレームが来ていて、その対応に追われているイメージだったので。僕が具体的な人数を質問しなければ、そのまま人数は教えてくれなかったでしょう。また「その東京都庁の部署はどこでしょうか」と尋ねたところ、「それは言えない」という回答でした。
会田家の「檄」は、今回の撤去要請によって2015年7月後半現在の「状況」を示すコンテンポラリー(同時代の、つまり現代芸術)作品として完成されてしまったようにも思うのです。
(蒸し返しになりますが、東京都現代美術館の略称「MOT」について。美術館自体の英文表記Museum of Contemporary Art Tokyoから、MとOとTに当たる単語を抽出すると、Museum of Tokyo、要するに東京(都)の美術館。「Contemporary Art」という館の特性を示す重要な言葉がすっぽり抜け落ちているというわけ。ニューヨークのMOMAに対抗して、開館当時の大人の人たちが決めたのだろうなあと勘ぐりたくもなってしまいます。この話、オープンした頃にも話題になっていましたが…)
会田誠は現代を代表する美術家です
今回、「檄」で会田誠という美術家を知った人には、いつもこんな物体を作っているちょっと変わった人と思われてしまうかもしれないのですが、「会田誠」の検索ワードで画像検索すれば、彼のこれまでの作品の画像をネットでご覧いただけるでしょう。
会田誠の画力の高さは多くの人々(学芸員や評論家、同業の画家たちも含む)から認められています。絵のうまさは圧倒的。しかも、キレイな言葉で表現するなら「社会通念に対するアンチテーゼ」、もっと具体的に言うなら美少女の干物や切腹する女子高生、ネオンに照らされたように薄ら輝きながらメビウスの輪のような編隊飛行でニューヨークを空襲するゼロ戦、ホームレスのダンボールハウスを模した新宿城(生活可能)、絶対に自殺できない自殺未遂マシーンなど、常識的な価値判断を突き抜けた「たぶん売れないよなあ」と思ってしまうような作品を作り続けている人です。
良識的な観覧者であれば(とくに複数人で観に来た場合には)、目を背けたり眉を顰めたりするかもしれませんが、作品を見てイヤな顔をする人でも、もしも周りに誰もいない状況で作品に向かい合える機会があれば、じっと見入ってしまうんだろうなと思えてしまう、そんな作品の作り手なのです。
会田誠作品に多くのファンがいる理由は、誰もが心のどこかに持っている、常識的には良からぬものとされる領域とのボーダーのギリギリを突くような作品を示してくれるからに違いありません。一見「キワモノ」に見えかねない作品の向こうには、まやかしではない世界が透けて見えるのです。
会田誠の作品に関しては毀誉褒貶はあるものの、というより《「現代」を問う「美術」(東京都現代美術館の基本方針の言葉)》であるがゆえに批判があって当然です。それが、友の会会員の一名(どなたなのかは分かりません)からのクレームにより、東京都庁のしかるべき部署からの要請もあり、最終的に美術館として協議して撤去要請を決定してしまうとは!
陳腐な言い方を許していただくなら、これこそまさに「現代美術館の自殺行為」にほかなりません。東京都現代美術館には、会田誠の作品「自殺未遂マシーン」(ぜったい自殺できないマシーン)をぜひとも購入していただきたいと切望する次第です。
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(井上良太)