[12月11日という日]京都議定書が採択された日

東日本大震災から3年9か月、1,371日

2014年12月11日 東日本大震災から1,371日の灯

歴史の中の12月11日

▼1931年 ウェストミンスター憲章が制定されイギリス連邦が成立

自治領6カ国それぞれの旗

それまでイギリス政府の下にあったカナダ連邦、オーストラリア連邦、ニュージーランド、南アフリカ連邦、アイルランド自由国、ニューファンドランドの自治領が、イギリス本国と同じ王を戴く平等な国家共同体(諸国連合:コモンウェルス)となった。

第一次大戦でイギリス帝国は、自治領や植民地から兵員や物資を大量に動員したため、戦後には自治領で独立の機運が高まっていた。植民地会議から改称されたイギリス帝国会議で自治領側から本国との対等な関係を求める声が上がったのを受けて、元イギリス首相バルフォアを座長とする委員会で審議。本国と自治領を同じ王を戴く対等な関係のコモンウェルスとすることが提言される。この提言を法制化したのがウェストミンスター憲章で、イギリス帝国はイギリス連邦へと組み替えられた。

▼1936年 「王冠を賭けた恋」イギリス王エドワード8世が退位

エドワード8世はウィンザー朝の第2代国王。1936年1月20日、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国ならびに海外自治領の国王、インド皇帝となる。

プリンス・オブ・ウェールズ(王位の法定推定相続人)だった頃には第一次世界大戦にグレナディアガーズ(近衛兵)として従軍した。第一次大戦後はイギリス自治領や植民地など世界各国を訪問。気さくな人柄から各国の人々に親しまれたという。日本を訪れた際には、鎧兜や和服、人力車の車夫姿の写真も撮影している。

1936年1月、父ジョージ5世の死去により王位を継承するが、離婚歴があるアメリカ人の夫人(バツイチで人妻)のウォリス・シンプソンとの交際がスキャンダルに、さらには政争にまで発展したのを受けて、ウォリスと結婚するために退位した。

退位後はウィンザー公爵となる。在位はわずか325日だった。

和服姿のエドワード

commons.wikimedia.org

▼1941年 ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告

真珠湾攻撃などで日本が米英蘭と開戦したのを受けて、ドイツとイタリアがアメリカ合衆国に宣戦した。それまでアメリカは、イギリスとソ連が進駐していたイランを経由して、ソ連への武器貸与などの軍事援助を行ってきたが、これによってヨーロッパ戦線でも直接ドイツなど枢軸国と対決することになった。

▼1946年 ユニセフ発足

第二次世界大戦で被災した多くの子どもたちへの緊急援助を目的として、国際連合児童基金(United Nations International Children's Emergency Fund:UNICEF)が発足。日本も援助を受ける国のひとつだった。

1953年に現在の「United Nations Children's Fund:UNICEF)に名称を変更し、現在は世界190カ国以上で、子どもの保健・栄養、安全な水・衛生、すべての男子・女子のための質の高い基礎教育、暴力・搾取・エイズからの保護活動を支援している。

▼1959年 三井三池争議が始まる

三井三池争議(1960年4月20日に撮影)

commons.wikimedia.org

三井三池炭鉱は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市に坑口のあった大規模な炭鉱。江戸時代から採掘は行われていたが、明治時代に官営の炭鉱として近代化が図られた後、三井財閥に払い下げられた。戦後の復興期には日本一の出炭量を誇り、三井のドル箱とも呼ばれていた。まさに戦後復興をエネルギー面から支えた炭鉱だった。

1950年代に入ると、石油に押されて石炭の需要が落ち始め、会社側は経営合理化との名分で希望退職者を募るようになる。希望者が予定の人数に達しなかったことを受けて会社側は退職勧告を実施。従わない従業員に対しては指名解雇を行うという挙に出るようにもなった。1953年には大規模なストライキによって会社側に方針を撤回させることに成功する。しかし1959年、再び希望退職募集、退職勧告という手順で12月11日に指名解雇が行われた。これが引き金となって起きたのが、1959年から1960年まで1年に及ぶ労働争議だった。

指名解雇者数は1,278人、この中には約300人の組合活動家が含まれていた。これに反発した従業員側は無期限ストに突入、会社側は炭鉱を閉鎖して対抗。対立は長期化し、銀行団は会社側に協調融資、労働組合側もストを行う従業員たちにカンパを行い「総資本対総労働の対決」の様相を見せたが、翌年3月第二組合(就労が許された)ができると、収入の途を断たれで生活苦からストを離脱する従業員が続出。さらに警察隊の突入などもあり、11月にはついに指名解雇を認める斡旋案を受け入れるという、従業員側に圧倒的に不利な条件でのスト解除となった。

従業員の中にいる組合活動家を資本側は「生産阻害者」と呼んでいたという。厳しい職場環境の炭鉱の中では、会社の指揮系統とは異なる、従業員たちによる現場での連帯があったという。指名解雇はそんな職場の中心人物を狙い撃ちにするものだった。三井三池争議が長期にわたる全面対決となったのは、職場の主要な人物が解雇になると、従業員の組合活動が機能しなくなる。賃金闘争が闘えなくなるという危機感を従業員たちが共有していたからだという意見もある。

当時は三井三池のみならず全国の炭鉱でスクラップ・アンド・ビルドが推し進められていた。スクラップ・アンド・ビルドとは言うものの、不採算な炭鉱を閉山してそこで働いてきた従業員を切り捨てるという動きだった。三井三池は人員整理が図られていたとはいえビルド側、それも当時トップクラスの設備が投入された炭鉱でもあった。だからこそ、そんな三井三池争議の行方は日本中から注目されていたのだという。

しかし結果として三井三池争議は従業員側の敗北に終わった。争議の期間中に動員された警察官が50万人という数字を見るだけでも、安保闘争をはるかに上回る大規模な争議だったことがわかる。

三井三池争議を境目に対決型の労使闘争は急速に下火になっていった。

冒頭に引用した写真の女性たちの真剣な表情をもう一度見てほしい。生きることの真剣さの質が違うようにも思えてくる。

▼1962年 恵庭事件発生。法廷は自衛隊の憲法判断を回避する

自衛隊演習場の通信回線をペンチで切った北海道恵庭の酪農家兄弟が、自衛隊法違反で訴えられるも、無罪判決。弁護側が主張していた自衛隊そのものが違憲だから自衛隊法も違憲という主張については、訴因である自衛隊法に関して無罪なのだから「判断をおこなう必要がないのみならず、これをおこなうべきでもない」と判断を回避した。

事件の発端は、自衛隊が酪農家兄弟との約束を破り、連絡なしで射撃演習を行ったことだった。

▼1977年 気仙沼線が全線開通

宮城県石巻市の内陸部に位置する前谷地駅を起点とし、柳津駅(登米市)、陸前戸倉駅(南三陸町)、志津川駅(南三陸町)、歌津駅(南三陸町)、陸前小泉駅(気仙沼市本吉町)、陸前階上駅(気仙沼市)など陸前戸倉駅以降は主に海岸沿いの町を経由し気仙沼駅までを結ぶ、72.8キロの鉄道。

国鉄再建法でローカル線の新線建設がストップする直前の全線開通だった。

東日本大震災で陸前戸倉・南気仙沼間は壊滅的な被害を受けた。2011年4月29日には前谷地・柳津間が復旧したが、その他の区間は現在BRT(主に鉄道路線の敷地を利用した専用道路を走るバス)による代行運行が行われている。

気仙沼駅前の代行バス

▼1993年 「屋久島」「白神山地」「法隆寺地域の仏教建造物」「姫路城」の4か所が世界遺産に登録される

▼1997年 京都議定書が署名される

第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議:COP3)で採択された議定書。正式名称は「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」。

この日が誕生日

◆1803年 エクトル・ベルリオーズ
フランスのロマン派作曲家。「幻想交響曲」が有名。

◆1843年 ロベルト・コッホ
ドイツ出身の細菌学者。シャーレ皿による寒天培地を使った細菌培養法を確立し、結核菌、コレラ菌、炭疽菌を発見した。ペスト菌を発見した北里柴三郎など有能な弟子を数多く育てた。

◆1918年 アレクサンドル・ソルジェニーツィン
ソ連うまれの作家。「収容所群島」や「イワン・デニーソヴィチの一日」など強制収容所での自身の経験に根差した作品を発表した。1970年にノーベル文学賞受賞。その後ソ連を追放されるが、ロシア共和国となった1994年に帰国を果たした。

◆1930年 佐々淳行(さっさ・あつゆき)
東京出身の警察官僚。戦国武将・佐々成政の末裔という。東大安田講堂事件、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件などで警備を指揮した。1986年には中曽根内閣で初代内閣安全保障室長に就任。退官後は評論家として幅広く活躍。

◆1952年 秋本治
葛飾亀有出身の漫画家。代表作は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。1976年から長期間にわたり連載を続ける。売れっ子になる以前にプラモデル愛好家として「タミヤニュース」に登場したこともある。

この日亡くなった人たち

・1950年 長岡半太郎
長崎大村出身の物理学者。土星型原子モデルを提唱した。

・2012年 三輪壽雪
萩焼の伝統をつなぐ三輪窯を受け継ぐ。第十一代三輪休雪。人間国宝にも認定された。享年102歳。