法廷が違憲判断を回避した「恵庭事件」から52年

恵庭事件は民間人が自衛隊法違反で裁かれた初めての事件。

乳牛のお乳の出から、自衛隊の合・違憲性裁判へ

北海道恵庭町で酪農を営む兄弟が、自衛隊の演習場の騒音によって牛乳生産量が減ることから、境界付近で射撃訓練する場合には事前に連絡すると自衛隊との間で確約を結んでいたが、自衛隊にその約束を破られたことから、1962年12月11日、射撃演習の着弾地点付近にある通信回線をペンチで切断した。

検察は、演習場の通信回線が自衛隊法121条にある「その他の防衛の用に供する物」にあたるとして防衛器物の損害で兄弟を起訴した。

これに対して兄弟の弁護側は、自衛隊法、そして自衛隊そのものが憲法9条、前文等の諸条項や、平和主義の理念に反すると反論。自衛隊法は違憲として無罪を主張した。

恵庭事件は自衛隊法で民間人が裁かれる初のケースであるとともに、自衛隊が違憲であるかどうかを争う裁判として注目を集めることになる。

意外すぎる判決理由

1967年3月29日に札幌地裁が出した第一審判決は、

物を壊したのは間違いない事実なのに「無罪」とは。しかし、判決主文よりその判決理由の方がふるっていた。

○自衛隊121条の「防衛器物の損害」は、財産に対する犯罪である一般的な器物損壊罪とは異なる。自衛隊法121条が規定しているのは、自衛隊が有する「国の防衛作用」を妨害する犯罪という性格のものである。

○刑罰法規はその解釈・運用において、濫用を避けるために抽象的・多義的でない表現で規定されるべきであり、「その他の防衛の用に供する物」というのは抽象的で多義的な規定方法に他ならない。

○被告人の切断した通信線は、自衛隊121条に例示的に示されている「武器、弾薬、航空機」のように「国の防衛作用」についての高度の必要性と重要な意義をもつものとは言えない。

○よって被告人の行為は自衛隊法121条の構成要件に該当しない。つまり無罪。

「その他の防衛の用に供する物」という条文が規定する範囲が曖昧で、権力の濫用を抑える為には具体的な指定が必要だというのだが、通信や情報は第二次世界大戦の時から戦闘行動を行う上での枢要な技術であり、レーダーを壊したり、ハッキングによって情報網をマヒさせるのと同様の深刻な破壊行為と見なすことも可能だろう。武器や弾薬や飛行機じゃないから罪に問えないという理屈は、まるでナポレオン戦争の時代の話ですかと言いたくなるくらい時代錯誤している。

新聞では「肩すかし判決」

さらに、憲法判断については、

被告人両名の行為について、自衛隊法121条の構成要件に該当しないとの結論に達した以上、もはや、弁護人ら指摘の憲法問題に関し、なんらの判断をおこなう必要がないのみならず、これをおこなうべきでもないのである。

引用元:恵庭事件 第一審 | 京都産業大学法学部憲法学習用基本判決集

検察が主張した自衛隊法121条について無罪なのだから、もうそれ以上、自衛隊が合憲か違憲かなどの一切の判断は行うべきではないと、憲法解釈を回避したのだった。

驚くべきことに、こんな一審判決に対して検察は上訴しなかった。無罪になった被告人もまた上訴ができないため無罪が確定という幕切れとなった。

毎日新聞のWebによると、「自衛隊の合・違憲性については判断を回避したため、「肩すかし判決」と呼ばれた」という。また、被告は「無罪判決に「喜べぬ」と会見」したという。

これが今の時代の事件だったら?

恵庭事件の判決には、政治的判断が行われた臭いがぷんぷんとする。有罪判決を下せば自衛隊が違憲か合憲かという問題が国民的規模で盛り上がりを見せた可能性がある。それは自衛隊法違反ではなく器物損壊罪で有罪にしたところで同じことだっただろう。騒ぎを大きくしたくない。沈静化することができさえすれば、自衛隊は現状維持であり、自衛隊の施設や所有物に手を出せば裁判に掛けられることになるという意味での一定の抑止は効く。判決では、そのような状況を回避する為に、わざわざ器物損壊罪には当たらないと予防線を張っているように見える。

検察が上訴しなかったことも異常に映る。ペンチで電線を切っただけにせよ、犯罪行為がそこにあったことは明白だ。自衛隊法違反ならびに器物損壊罪という法廷闘争の方向変換もあり得たはずだ。

さらに言うなら、この判決は砂川事件での最高裁判決よりも後に行われたものだ。砂川事件で最高裁は、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」として、米軍基地の敷地内にデモ隊の一部が数メートル入っただけの事件を地裁に差し戻し、最終判決では有罪が確定している。

多国との条約に基づく法と国内法という違いはあるが、防衛を司法が手をつけることが出来ない聖域として合憲・違憲判断を回避しつつ、有罪判決を出すことも不可能ではなかったと思われる。

しかし、そのような結果にはならなかった。無罪判決を受けた被告が「喜べぬ」と告白するような判決によって、憲法9条の問題は棚上げにされた格好で、以後半世紀が過ぎた。ところが、この事件がたとえば2014年の12月11日に発生していたとしら、どのような司法判断が行われたことだろうか。

特定秘密保護法によって、「その他の防衛の用に供する物」が秘密指定されれば、その内容が明示されないまま有罪とされる可能性も考えられる。

あるいはやはり、デリケートな問題だからということで、曖昧な理由による詭弁的な判決が行われたかもしれない。

一般人が自衛隊法によって初めて裁かれたこの事件は、半世紀も前に起きたことではあるけれど、もしこれが現在の出来事であったらと想像してみることに意義がないとは言えまい。

また、当時の新聞がこの判決を「肩すかし」と評したことは、はからずも50年後の世相を予言的に見通した見解とも思えてくる。司法に限らずさまざまな場面で肩すかし的な事例が積み重ねられて行くことで、ある種の「空気」が醸成されていくことの事例としても、恵庭事件は忘れてはならない事件だったと思う。