海は誰のもの?

いわき市薄磯。震災後の真夏の浜辺

汚染された地下水が溜まるサブドレンという井戸がある。東京電力は、原発建屋周辺に40数カ所掘られたこの井戸から汲み上げた水を、浄化した上で海洋に排出する計画を発表。地元の漁業者に理解を求めるとした。この計画が報じられた8月20日、福島県内の9つの市民団体が計画の中止を求めて要望書を提出した。要望書では、漁業者だけではなく地元の住民にも計画についての説明を行うよう求めている。同様に市民への説明を求める声は、地下水バイパスの準備が進められていたこの春にも上がっていた。

原発事故被災地で持続的な活動を行うために、地域の人たちとの連携が不可欠なのは言うまでもない

たしかにその通りだと思う。「福島県漁連組合長会議説明資料」という文書が毎月1回公開されているが、漁業関係者以外の一般市民を対象にまとめられた説明資料は、少なくとも定期的に発表されているものとしては存在しない。地下水の海洋排出に関して、地域住民と話し合う場が設けられたという話も聞かない。

東京電力は発電所などの施設が所在する地域の人たちを、ステークホルダーとして考えていないのだろうか。(まさか、だが)

ステークホルダーというのは、CSR(企業の社会的責任)とともに広まった言葉で、簡単にいうと、その人々との関係を大切にしなければ社会的責任を果たすことができないほど重要な相手、という風に考えていただければいいと思う。

具体的な人格を持たないにも関わらず「法人」という言葉があることからも明白なように、いかなる企業といえども、一般の人たちと同じく社会に対して貢献する存在でなければならないという認識がCSRの基本にある。日本では、サステナビリティ(持続的成長)という考え方とともに10数年前から普及してきた。

企業側から見て自社のCSRを考える上でベースになるものは2つある。ひとつは企業としての目的(企業理念や、何のために設立されたのかという創業の理念など)だ。そしてもうひとつが、企業の活動がどのような人たちと関わりながら行われているかを示すステークホルダーなのである。

ステークホルダーに関しては最低限これだけはとのスタンダードがある。「顧客」「株主」「従業員」「取引先」「地域社会」の5つのセクター(人々)は、いかなる企業にとってもステークホルダーであるという考え方だ。そうでなければ、社会に対して責任を果たせないことは自明だろう。顧客を無視して企業が成り立つ道理はない。従業員をないがしろにする会社が存続するはずがない。同じように地域社会とのコミュニケーションに力を注がない組織がその土地で事業を継続していけるわけがない。

前置きが長くなったが、地下水などの海洋放出に関するスタンスを見て、東京電力株式会社がステークホルダーとしてどのようなセクター(人々)を設定しているのかを知りたくなった。

いわき市永崎海水浴場。散歩する人、語らう人、寝そべる人、ビーチクリーンする若者たち…

東京電力のCSR報告書「サステナビリティレポート」

一時はCSR報告書を作成することが一流企業の条件との誤解が疑われたほど、数多くの企業がCSR報告書を作成・公開していた。しかしCSRは報告書を作ればそれでいいというものではない。社会的責任を果たすための具体的な計画を立案し、その達成度を検証し、次年度の計画に反映するというサイクルを実施して、はじめて活動としての意味が生まれる。しかも検証の対象となるのは経営トップの行動から、各事業のPDCAサイクル、購入資材等のライフラインコスト算定、さらには各事業所のゴミの分別と有効なリサイクル施策がとられているかといった問題にまで及ぶ。かなり面倒な作業が伴うのである。そのため2000年代初頭のブームを過ぎた後は、実のある報告書を作成する企業は、数の上では減少してきた印象がある。

東京電力のCSR報告書は…、とネットで検索すると意外とあっさり見つかった。しかも「IR資料室」という企業経営の根幹にかかわるページにしっかりリンクされていた。

その名称は「サステナビリティレポート」。バックナンバーとして公開されている最新のものは、2009年4月から2010年3月までを対象期間として、2010年9月に発行された2010年版だった。次回発行予定は2011年7月とされていたが、作成されなかったようだ。原発事故の当事者となってしまったことを考えると仕方のないことなのかもしれない。(本来なら廃炉に向けての困難な作業が行われる時こそ「サステナビリティ」が重要だと思う)

東京電力グループ「サステナビリティレポート」2010

しかし2010年版は全80ページに及ぶ堂々たるリポートで、その編集方針としては、「ステークホルダーとの対話に基づいてコミットする」との理念を有するAA1000というガイドラインを参考に評価活動を行ったとしている。

「中長期成長宣言」に掲げられた経営理念は「エネルギーの最適サービスを通じて ゆたかで快適な環境の実現に貢献します」。3つの経営指針の第一として、「社会の信頼を大切にする」が掲げられている。

そして今回の知りたいテーマである「ステークホルダー」については、20ページに図とともに掲げられていた。

東京電力グループ「サステナビリティレポート」2010、20ページより

東京電力がステークホルダーとして考えているのは、「お客様」「株主・投資家」「社員」「政府・自治体」「国際社会」「未来を担う子どもたち」「ビジネスパートナー」そして「地域社会」。

5つのスタンダードに加えて「政府・自治体」「国際社会」「未来を担う子どもたち」を掲げているのは、さすが大企業の貫録だろうが、「その期待に誠実に応えることの大切さを、「経営指針」第一の指針に明文化」と謳われているステークホルダーのひとつとして「地域社会」はしっかり掲げられていたのである。

ましてや「未来を担う子どもたち」や「国際社会」もがステークホルダーだと言うことは、地下水等の海洋排出に関して説明や相談を行い、了解を得るべき対象が行政と漁業関係者に限られないと、東京電力自体が原発事故以前に明言しているに等しい。

海は誰のものか。そこを生業の場としている漁業関係者にとってはもちろんだ。しかし経済活動だけが海との関わりではない。原発事故の大きな被害を受けた地元の人たちにとって、海辺は生活環境そのものだったのだし、こども達が遊び、成長していく自然のフィールドでもあった。さらに事故原発の海は世界の海ともつながっている。

地域社会、未来を担う子どもたち、国際社会からの期待に誠実に応えることの大切さを「経営指針」第一の指針に明文化している東京電力のことだ。地域社会や国際社会、未来を担う次の世代への説明責任を十全に果たしていってくれるものと確信する。東京電力は世界有数の民営電力会社である。自ら第一の指針と掲げたステークホルダー重視の大原則を、自ら否定することなどあり得るはずがない。