いちゃもん付けたい訳じゃないし、そもそも他人様の文章に意見できるような者ではないのだが、東京電力が発表する文書の読みにくさについて、ちょっとだけ書かせて。
東京電力は事故原発の最新状況を「日報」として毎日公開している。毎日毎日公開するのには、まったく頭が下がる。ただ、時々きわめて読みにくい文章が登場する。
たとえば7月22日の日報で多核種除去設備(ALPS)B系について触れた次の一文。初見ですらっと読み通せて理解できる人はいるだろうか?
※多核種除去設備B系については、同設備C系で確認された吸着塔フランジ部の微小なすき間腐食発生の対策(フランジ部へのガスケット型犠牲陽極の設置)を水平展開するため、7月21日午後10時に処理運転を停止。処理運転停止後、漏えい等の異常がないことを確認。
また、多核種除去設備B系の炭酸塩沈殿処理を行っているクロスフローフィルタ(CFF)については、既に改良型CFFに交換を実施しているが、今回の処理運転停止にあわせて鉄共沈処理を行っているCFFについても、これまでに問題は確認されていないものの、予防保全の観点から改良型CFFへの交換を実施する。なお、現在処理運転中の多核種除去設備A系およびC系の鉄共沈処理を行っているCFFについても、今後、改良型CFFへの交換を予定している。
文法が間違っているわけじゃない。難解な固有名詞がぽんぽん飛び出してとっつきにくいのは仕方ないとして、分かち書き的に改行したら理解しやすくなるかも、と改行しまくってみた。
※
多核種除去設備B系については、
同設備C系で確認された吸着塔フランジ部の微小なすき間腐食発生の対策(フランジ部へのガスケット型犠牲陽極の設置)を水平展開するため、
7月21日午後10時に処理運転を停止。処理運転停止後、漏えい等の異常がないことを確認。
また、多核種除去設備B系の炭酸塩沈殿処理を行っているクロスフローフィルタ(CFF)については、
既に改良型CFFに交換を実施しているが、
今回の処理運転停止にあわせて鉄共沈処理を行っているCFFについても、
これまでに問題は確認されていないものの、
予防保全の観点から改良型CFFへの交換を実施する。
なお、現在処理運転中の多核種除去設備A系およびC系の鉄共沈処理を行っているCFFについても、今後、改良型CFFへの交換を予定している。
固有名詞が難解だからやっぱりよく分からないが、文の構造としては意味をもったブロックが入り組んだ長文で構成されているようだ。日本語の文法としては正しい。しかし意味がとりにくい――。中学受験の国語の読解問題に出題したらかなりの難問になんじゃないか。
とはいえ、難しいといってるだけで済ませるわけにはいかないから、読解にチャレンジしてみよう。元の文にはできるだけ加筆せずに、意味のブロックを移動して書きかえてみた。
多核種除去設備B系は、7月21日午後10時に処理運転を停止。運転停止後、漏えい等の異常がないことを確認した。
運転停止の目的は、同設備C系で確認された吸着塔フランジ部の微小なすき間腐食発生の対策(フランジ部へのガスケット型犠牲陽極の設置)を水平展開するため。
引用元:「福島第一原子力発電所の状況について(日報)|東京電力 平成26年7月22日」を編集
なるほど。B系の話なのにしょっぱなからC系の出来事が引用されているところが原文のポイントだったのか、と分かる。
つづいて、さらに難易度が高い後段に挑戦。こちら、多少の加筆はお許しを。
また、今回の処理運転停止にあわせて、鉄共沈処理を行っているクロスフローフィルタ(CFF)を改良型CFFに交換する。この措置は予防保全の観点から行うもので、これまでに問題は確認されていない。
また炭酸塩沈殿処理を行っているCFFは、既に改良型CFFに交換を実施している。
なお、現在処理運転中の多核種除去設備A系およびC系の鉄共沈処理を行っているCFFについても、今後、改良型CFFへの交換を予定している。
引用元:「福島第一原子力発電所の状況について(日報)|東京電力 平成26年7月22日」を編集
文章全体の主語は「鉄共沈処理を行っているCFF」なのだが、その前に「既に改良型に交換した炭酸塩沈殿処理CFF」の話を持ってきて、ようやく「鉄共沈処理を行っているCFF」の主語が登場した直後には「これまでに問題は確認されていないものの」と予防的釈明が展開される。
バラしてみてはじめて原文の構造の複雑さが分かった。まるで組木細工だ。日本語としての文の法を犯すことなく、ぎりぎりの線で成り立たされた組木細工。しかも、その組み合わせには含意までが感じられる。
すでに交換済み、これまで問題なし、予防保全の観点からという言葉を、何としても強調して伝えたいという思いが、文意よりもずっと前面に飛び出してくる。
官僚特有の作文技術を指すものとして「霞ヶ関文学」という言葉があるのと同様に、東京電力の文書にも「東電文学」ともいうべき作文作法があるのかもしれない。霞ヶ関文学が法案を骨抜きにしたり、玉虫色の意味に読み取れるレトリックを駆使するものとされるのに対して、東電文学はひたすらエモーションに訴えるものなのかもしれぬ。
曰く。「大した問題ではないし、もう手を打っているから追及しないでください」
受け手としてはこう申し上げたい。「セツカク毎日發表シテヰルノダカラ、モウ少シワカリヤスク書イテイタダケナイモノデセウカ?」
よろしくお願いいたします。
文●井上良太